夏目漱石の『吾輩は猫である』に登場する「元来黒は自慢をする丈だけにどこか足りないところがあって、」という表現について、「元来」と「本来」は同じ意味なのか疑問に感じる人もいます。どちらも「もともと」という意味で使われますが、実際には使われる場面やニュアンスに違いがあります。この記事では、「元来」と「本来」の意味の違いを、文学作品での使われ方も含めて解説します。
「元来」と「本来」はどちらも「もともと」という意味を持つ
「元来」と「本来」は、どちらも現在の状態になる前の「もともとの性質や状態」を表す言葉です。そのため、辞書では似た意味として説明されることもあります。
例えば、「彼は元来真面目な人だ」という場合は、「彼はもともと真面目な性格だった」という意味になります。また、「人間は本来助け合うものだ」という場合は、「人間という存在の性質として、もともと助け合うものだ」という意味になります。
このように共通する部分はありますが、実際の文章では少し異なるニュアンスで使い分けられています。
「元来」は過去から続く性質や起源を表す言葉
「元来」は、その人や物が以前から持っている性質、由来、もともとの状態を説明するときに使われます。特に、現在の状態と比較して「昔からそうだった」という意味合いが強くなります。
『吾輩は猫である』の「元来黒は自慢をする丈だけにどこか足りないところがあって」という表現では、「黒」という猫がもともと持っている性質について語っています。
つまり、この場合の「元来」は「黒という猫は、以前から、自慢ばかりする一方でどこか欠点のある性格だった」という意味になります。猫の性格や特徴の起源を説明しているため、「元来」が適しています。
「本来」は本質やあるべき姿を表す言葉
一方、「本来」は物事の本質や、本来あるべき状態を表す場合によく使われます。「本来の姿」「本来の目的」「本来ならば」といった表現が代表的です。
例えば、「本来ならば今日中に終わらせる予定だった」という場合は、「予定されていた正しい状態では」という意味になります。また、「犬は本来群れで生活する動物だ」という場合は、犬という動物の性質や本質について述べています。
「本来」は単なる過去の状態ではなく、「そのものが持っている根本的な性質」や「あるべき姿」というニュアンスがあります。
「元来」と「本来」の違いを具体例で比較
| 言葉 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 元来 | もともとの性質・昔からの状態 | 彼は元来おとなしい性格だった。 |
| 本来 | 本質・あるべき姿・正しい状態 | 仕事は本来楽しく取り組むものだ。 |
例えば、「彼は元来優しい人だ」と言う場合は、昔から優しい性格だったという意味になります。
一方で、「彼は本来優しい人だ」と言う場合は、現在は違う態度を取っているものの、その人の本質としては優しい人だという意味合いになります。
『吾輩は猫である』で「元来」が使われている理由
『吾輩は猫である』の文章では、猫の黒について、その猫が以前から持っている性格や特徴を説明しています。そのため、「本質的にこうあるべき」という意味の「本来」よりも、「もともとそういう性質だった」という意味の「元来」の方が自然です。
もし「本来黒は自慢をする丈だけにどこか足りないところがあって」とすると、「黒という猫の本質やあるべき姿として欠点がある」というような、少し違った印象になります。
漱石は登場人物や猫の性格を描写するために、過去から続く特徴を示す「元来」という言葉を選んでいると考えられます。
まとめ
「元来」と「本来」はどちらも「もともと」という意味を持ちますが、使われ方には違いがあります。
「元来」は、昔から変わらない性質や由来を表す言葉で、「本来」は物事の本質や本来あるべき姿を表す言葉です。
『吾輩は猫である』の「元来黒は」という表現は、黒という猫が以前から持っている性格を説明しているため、「元来」が適切に使われています。似た意味の言葉でも、文章の意図によって使い分けることで、より正確な表現になります。


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