韓国文学の翻訳では、数字や時制、敬語表現の違いによって、原文と日本語訳の印象が変わることがあります。特に年齢を表す表現は、日本語と韓国語で数え方の感覚が異なるため、翻訳者によって解釈が分かれる場合があります。
この記事では、韓国語の一文「열일곱 살이 되던 겨울, 내가 처음 먹으로 그려보았던 나무 기억하나요.」を例に、16歳という訳と17歳という訳のどちらが原文に近いのか、韓国語の文法や表現の特徴から考えていきます。
単純な数字の置き換えではなく、原文が持つ時間感覚や語り手の意図を理解することが、文学翻訳では重要になります。
原文「열일곱 살이 되던 겨울」の意味
問題となっている韓国語表現「열일곱 살이 되던 겨울」を直訳すると、「17歳になる頃の冬」「17歳になった冬」という意味になります。
「열일곱 살」は韓国語で「17歳」を意味します。「되던」は動詞「되다(なる)」に過去の状況や回想を表す連体形が付いた形で、「〜になった時の」「〜になろうとしていた頃の」というニュアンスを持ちます。
そのため、文法的には「17歳になる冬」という意味になり、原文だけを見ると「16歳の冬」とするよりも「17歳の冬」または「17歳になる冬」と訳すほうが近い表現です。
なぜ「16歳の冬」という訳が生まれるのか
一方で、「열일곱 살이 되던 겨울」を「16歳の冬」と訳す考え方にも理由があります。日本語では「17歳になる冬」という表現を使う場合、誕生日を迎える前の時期を指すことがあります。
例えば、17歳の誕生日が冬にある場合、その直前の冬は日本語感覚では「16歳の冬」と表現することも可能です。
つまり、「16歳の冬」という訳は、年齢そのものではなく「17歳になる直前の季節」という時間的な解釈を反映した意訳と考えられます。
「17歳の冬」と「16歳の冬」の違いは翻訳上の判断
文学翻訳では、原文の単語をそのまま置き換えるだけでは自然な文章にならない場合があります。翻訳者は、作者が描いている場面や人物の記憶を考慮して表現を選びます。
「17歳の冬」と訳せば、原文の数字を忠実に反映した表現になります。一方、「16歳の冬」と訳せば、17歳になる前の時期という日本語読者に分かりやすい時間感覚を優先した表現になります。
どちらが絶対的に正しいというよりも、原文の時間認識をどのように日本語で再現するかという翻訳方針の違いになります。
「기억하나요」と「覚えていますか」のニュアンス
後半の「기억하나요」は、「覚えていますか」「記憶していますか」という意味です。相手に問いかける表現であり、親しい相手への柔らかな確認のニュアンスがあります。
訳文によっては「覚えていますか」とする場合もあれば、「覚えていますね」とする場合もあります。「〜ですね」は相手も当然覚えているという期待や確認の気持ちを含むため、原文より少し強い印象になる可能性があります。
ただし、文学作品の会話では、語り手と相手の関係性を考慮して「覚えていますね」と表現することもあり得ます。
翻訳で重要になる原文の忠実さと日本語の自然さ
翻訳には、大きく分けて原文に忠実な訳と、日本語として自然に読める訳があります。文学作品では、この二つのバランスを取ることが重要です。
例えば、「열일곱 살이 되던 겨울」を機械的に訳せば「17歳になった冬」になりますが、作品全体の流れによっては「16歳の冬」としたほうが読者に当時の状況を想像させやすい場合があります。
翻訳の評価では、一文だけを比較するのではなく、その場面で作者が伝えようとしている感情や時間の流れまで含めて判断する必要があります。
まとめ
「열일곱 살이 되던 겨울」は、韓国語の文法上では「17歳になる冬」「17歳になった頃の冬」という意味になり、数字だけを見ると17歳という訳が原文に近い表現です。
ただし、「17歳になる前の冬」という時間感覚を日本語で自然に表現するために、「16歳の冬」と訳すことも翻訳上の判断として成立します。
そのため、この例だけで単純に誤訳と断定することは難しく、原文への忠実さを重視するか、日本語としての自然さを重視するかという翻訳方針の違いとして見ることが大切です。


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