夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』を読んでいると、現代ではあまり見かけない漢字表記や外国語の表現が登場します。その中の一つが「巴理」という言葉です。
「巴理」は現在の日本語では一般的な表記ではないため、何を意味しているのか疑問に感じる人も少なくありません。この記事では、『吾輩は猫である』に登場する「巴理」の意味や、なぜこのような表記が使われたのかについて、作品の時代背景と合わせて解説します。
『吾輩は猫である』に出てくる「巴理」の意味
『吾輩は猫である』に登場する「巴理」は、現在のフランスの首都である「パリ(Paris)」を表しています。
つまり、「巴理」はフランスそのものではなく、フランスにある都市名「Paris」の当時の漢字表記です。現在では「巴里」と書かれることもありますが、明治時代の文章では外国の地名を漢字で表記することがよく行われていました。
現代の感覚では「パリ」とカタカナで書くのが普通ですが、漱石の時代には外国語を漢字に当てはめて表記する文化がありました。
なぜパリを「巴理」と漢字で書いたのか
明治時代から昭和初期頃までは、外国の地名や人名を漢字で表記することが珍しくありませんでした。これは漢字文化圏で外国語を表現するための一つの方法でした。
例えば、アメリカは「亜米利加」、イギリスは「英吉利」、フランスは「仏蘭西」と表記されることがあります。これらは漢字本来の意味よりも、外国語の音に近い漢字を選んだ「当て字」です。
「巴理」も同じように、Parisの音を日本語の漢字で表現したものです。「巴」は音を表すために使われ、「理」も意味ではなく音を合わせる役割を持っています。
「巴里」と「巴理」の違いは何か
パリの漢字表記には「巴里」や「巴理」など複数の形があります。どちらもParisを表す当て字であり、意味の違いによって使い分けられているわけではありません。
現在では「巴里」という表記の方が文学作品や古い文章で見かけることが多く、「巴理」は比較的珍しい表記です。しかし、明治期には外国語の音写方法がまだ統一されておらず、さまざまな漢字表記が存在しました。
そのため、漱石の作品で「巴理」という表記が出てきても、特別な場所や別の国を指しているわけではなく、パリを意味していると考えられます。
夏目漱石が外国語を漢字で表現した理由
夏目漱石が活動した明治時代は、日本が急速に西洋文化を取り入れていた時期でした。文学や学問の分野でも、外国の文化や思想を紹介する機会が増えていました。
しかし、当時は現在のように外国語をカタカナで表記する習慣が完全には定着していませんでした。そのため、漢字による表記が広く使われていました。
『吾輩は猫である』では、こうした古い表記や知識人らしい言葉遣いが作品の雰囲気を作っています。外国の地名を漢字で表すことも、当時の知識人にとって自然な表現方法でした。
『吾輩は猫である』を読むときに知っておきたい明治時代の表現
漱石の作品には、「巴理」以外にも現代の読者には分かりにくい表現が多く登場します。これは単なる古い言葉ではなく、当時の文化や社会状況を反映したものです。
例えば、外国の地名、人名、学問用語などには漢字による表記が使われることがあり、意味を知っていると作品をより深く楽しむことができます。
古典文学を読む際には、現在の表記だけで判断せず、作者が生きた時代の言葉の使われ方を知ることが理解の助けになります。
まとめ|「巴理」はフランスのパリを表す明治時代の表記
『吾輩は猫である』に登場する「巴理」は、フランスの首都パリ(Paris)を表す漢字表記です。フランス全体を指す言葉ではなく、一つの都市名を表しています。
「巴理」や「巴里」のような表記は、外国語を漢字で表現していた明治時代ならではのものです。現在では使われる機会が少なくなりましたが、漱石の作品を読むうえでは当時の文化を知る手がかりになります。
古い文学作品に登場する見慣れない言葉も、時代背景を理解すると作者の意図や作品の面白さをより感じられるようになります。


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