古文を読んでいると、会話文の最後に「〜給ふる」という表現が出てきて、終止形の「給ふ」ではないことに疑問を感じることがあります。古文では現代語とは異なり、文末の形が必ずしも単純な終止形になるとは限りません。この記事では、「給ふる」の文法的な仕組みや、なぜ文末で使われるのかについて詳しく解説します。
「給ふる」は本当に終止形ではないのか
古文の敬語でよく登場する「給ふ」は、尊敬語として非常に重要な語です。しかし、「給ふる」と書かれている場合、単純に「給ふ」の終止形ではない形が使われています。
「給ふる」の「る」は、動詞「給ふ」に付いた助動詞や活用語尾の一部である可能性があります。そのため、文全体の構造を確認しなければ正確な意味を判断できません。
古文では、同じ「給ふ」でも、使われ方によって活用や意味が変化するため、単語だけを見るのではなく、前後の文脈を見ることが大切です。
「給ふ」には2種類の用法がある
古文の「給ふ」には、大きく分けて尊敬の補助動詞として使われる場合と、本動詞として使われる場合があります。
尊敬の補助動詞の場合は、「〜なさる」という意味になり、例えば「読み給ふ」で「お読みになる」という意味になります。
一方、本動詞の場合は「お与えになる」という意味を持ちます。どちらの意味なのかによって、活用や接続の判断も変わります。
会話文の「給ふる」は連体形が使われている可能性がある
古文では、現代語のように必ず文末を終止形で終えるとは限りません。特に会話文や和歌、物語文では、連体形が文末に置かれることがあります。
これは古文特有の表現で、「連体形終止」と呼ばれる現象です。平安時代以降の文章では、終止形ではなく連体形で文を終える表現が広く使われました。
例えば、「給ふる」は「給ふ」の連体形であり、文末に置かれていても文法的に誤りではありません。古文では連体形が終止形のように使われることがあるためです。
なぜ古文では連体形で文を終えるのか
連体形終止が使われる理由には、古文の表現上の特徴があります。連体形を使うことで、余韻を残したり、話し手の気持ちを強調したりする効果がありました。
例えば物語文学では、登場人物の発言を柔らかくしたり、丁寧な印象を与えたりするために連体形で終わることがあります。
現代語でも「あなたが言ったこと」という表現を途中で止めるような言い方があるように、文章表現では必ずしも基本形だけで終わるとは限りません。
「給ふる」を読むときのポイント
古文で「給ふる」を見た場合は、まず「給ふ」がどのような働きをしているかを確認します。そのうえで、「る」が連体形の形なのか、助動詞なのかを判断します。
例えば、「帝、仰せ給ふることあり」のような場合では、「帝がおっしゃることがある」という意味になり、「給ふる」は後ろの名詞「こと」にかかる連体形として理解できます。
また、会話文の最後に出てくる場合でも、古文では連体形終止の可能性があるため、「終止形ではないから間違い」と考える必要はありません。
まとめ:古文の「給ふる」は文法上正しい表現
古文の会話文末に出てくる「給ふる」は、終止形ではなく連体形が使われている場合があります。古文では連体形で文章を終える表現が存在するため、文末に置かれていても不自然ではありません。
「給ふ」は敬語表現として重要な語ですが、意味や活用は文脈によって変化します。単語だけで判断せず、前後の文章と合わせて読むことが古文読解のポイントです。
古文特有の連体形終止を理解すると、「なぜこの形になるのか」という疑問が解消され、物語や会話文もより正確に読めるようになります。


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