古文の一人称・三人称とは?「べし」の意味判断や主語把握を分かりやすく解説

文学、古典

古文を学習していると、「一人称なら意志、三人称なら推量」という説明を目にすることがあります。しかし、そもそも古文における一人称や三人称とは何を指すのか、主語が誰なのか分からず混乱する人も少なくありません。

この記事では、古文で使われる人称の考え方や、「べし」などの助動詞の意味を判断する方法、主語を見抜くためのポイントについて詳しく解説します。

古文における一人称・二人称・三人称の意味

現代語と同じように、古文でも話し手を一人称、聞き手を二人称、それ以外の人物を三人称として考えます。

一人称とは「文章や会話の中で、自分自身を指す立場」のことです。現代語では「私」「僕」などが一人称にあたります。

三人称とは「話し手や聞き手以外の人物」を指します。例えば「彼」「あの人」「おとど(大臣)」など、話の中に登場する人物は基本的に三人称になります。

古文の一人称は必ず作者という意味ではない

古文でよくある誤解は、「一人称=作者」と考えてしまうことです。しかし、必ずしもそうではありません。

物語文では、作者ではなく、その場面の登場人物が語り手になっている場合があります。つまり、一人称とは文章を書いた人ではなく、その発言や考えの主体になっている人物を指します。

例えば、物語の中で主人公が「私はこう思った」と語っている場合、その「私」は作者ではなく主人公です。

「べし」の意味判断で一人称・三人称を見る理由

助動詞「べし」には、意志・推量・当然・命令など複数の意味があります。その中でも、主語が誰なのかによって判断しやすくなる場合があります。

例えば、一人称が主語の場合、「私は〜するつもりだ」という意味になるため、「べし」は意志を表すことが多くなります。

一方で、三人称が主語の場合、本人以外の人物の考えや行動を話し手が予測する形になるため、「〜だろう」という推量になることが多くなります。

例として「我、行くべし」という文なら、「私は行こう」という自分の決意なので意志になります。一方、「あの人、行くべし」なら「あの人は行くだろう」という推量として読むのが自然です。

「おとど、碑殿におはしけるままに」の主語は何人称か

質問にある「おとど、碑殿におはしけるままに、落窪をさしのぞいて見たまへば」というような文章では、「おとど」は作者でも話し手でもありません。

「おとど」は物語の中に登場する人物なので、基本的には三人称として扱います。「おとど自身が自分のことを語っている」のではなく、語り手が「おとどがこうした」と説明しているためです。

この場合、「おとど」は一人称ではありません。古文の人称判断では、その人物が文章の中で自分自身として発言しているのか、それとも別の人物として描写されているのかを見ることが重要です。

古文の主語を判断するコツ

古文では主語が省略されることが多いため、人称を判断する前に「誰の動作や気持ちなのか」を考える必要があります。

主語を探すときは、以下のポイントを確認すると分かりやすくなります。

  • 会話文なら、その発言をしている人物は誰か
  • 心情表現なら、その気持ちを持っている人物は誰か
  • 敬語が誰に向かって使われているか
  • 直前まで話題になっていた人物は誰か

特に敬語は重要な手がかりになります。古文では、誰を尊敬しているかによって主語を推測できる場合があります。

古文読解では「誰の視点か」を意識することが大切

古文の人称判断で大切なのは、「この文章は誰の視点から書かれているのか」を考えることです。

例えば、日記文学では作者自身が語り手になることがありますが、物語では作者とは別の登場人物を中心に話が進むことがあります。

そのため、「一人称だから作者」「三人称だから知らない人」と単純に決めるのではなく、その場面で誰が話し手なのか、誰の行動を説明しているのかを確認することが重要です。

まとめ

古文における一人称とは文章の作者ではなく、その場面で自分自身を指している人物のことです。三人称は、話し手や聞き手以外の登場人物を指します。

助動詞「べし」の意味を判断するときは、まず主語が誰なのかを考えることが大切です。一人称なら意志、三人称なら推量になりやすいというルールは、主語判断のための目安として使います。

古文の主語把握は難しく感じやすい部分ですが、「誰が話しているのか」「誰の動作なのか」を意識して読むことで、徐々に正確に読み取れるようになります。

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