「行くことができる」という意味で「行かれる」と表現する人がいます。この言い方を初めて聞くと、敬語の「行かれる」と同じなのか、あるいは特定の地域で使われる方言なのか疑問に感じることがあります。
実際には「行かれる」は単なる方言というより、日本語の可能表現の歴史や地域差によって生まれた表現です。この記事では、「行かれる」の意味や使われる地域、標準語との違いについて詳しく解説します。
「行かれる」が「行くことができる」という意味になる理由
現代の標準語では、「行くことができる」は「行ける」と表現するのが一般的です。しかし、一部の地域では「行かれる」という形も使われています。
これは日本語の可能表現の変化と関係があります。昔の日本語では、動詞に「れる・られる」を付けることで、受け身・尊敬・可能など複数の意味を表していました。
そのため「行かれる」は、本来「行くことが可能である」という意味でも成立する表現でした。現在では標準語で「行かれる」を使う場合、主に尊敬表現として受け取られることが多くなっています。
「行かれる」を使う地域はどこなのか
「行かれる」を「行くことができる」という意味で使う地域は、主に東日本の一部、特に北関東や東北地方などで見られると言われています。
例えば、「明日は東京まで行かれるよ」という場合、その地域では「明日は東京まで行くことができるよ」という意味になります。
一方で、関西地方などでは「行ける」を使うことが多く、「行かれる」を可能の意味で使うと違和感を持たれる場合があります。
「行かれる」と「行ける」の違い
標準語では、「行ける」と「行かれる」は意味が異なります。
| 表現 | 意味 | 例文 |
|---|---|---|
| 行ける | 行くことが可能 | 明日は学校に行ける |
| 行かれる | 尊敬表現や地域によっては可能表現 | 先生が会場へ行かれる |
標準語の感覚では「先生が行かれる」のように、目上の人の行動を表す尊敬語として理解されることが多いです。
そのため、地域によっては「私は明日行かれる」と言うと、「私は明日行くことができます」という意味ではなく、「私は誰かに敬意を払っているのか」と受け取られることがあります。
方言ではなく「地域で残った可能表現」と考えることもできる
「行かれる」を方言と呼ぶこともありますが、厳密には古い日本語の使い方が地域に残ったものと考えることもできます。
日本語では、地域によって昔からの表現が残っている例が多くあります。「行かれる」もその一つで、標準語ではあまり使われなくなった可能表現が、日常会話の中で維持されていると考えられます。
例えば、「食べられる」「見られる」などの「られる」は現在でも可能表現として使われていますが、「行かれる」のような「れる」を使った可能表現は地域差が大きくなっています。
会話で「行かれる」を使うときの注意点
地域内での会話では自然な表現でも、他の地域の人と話す場合には意味が伝わりにくいことがあります。
例えば、全国的な場面や仕事の場では「明日は現地に行けます」と言った方が誤解されにくくなります。
一方で、方言や地域の言葉として「行かれる」を使うこと自体は間違いではありません。言葉は地域によって変化するため、その土地の自然な表現として受け入れられています。
まとめ
「行くことができる」という意味で「行かれる」と言う表現は、主に東日本の一部などで使われる地域的な表現です。完全な誤用というわけではなく、日本語の古い可能表現が地域に残ったものと考えられます。
ただし、現在の標準語では「行ける」が一般的で、「行かれる」は尊敬語として理解されることが多いため、全国的な場面では使い分けると安心です。
方言には、その地域の歴史や日本語の変化が反映されています。「行かれる」のような表現も、日本語の豊かな地域差を示す一例と言えるでしょう。


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