ひきこもり問題について考えるとき、「本人の問題なのか」「親の育て方が原因なのか」「社会の責任なのか」と、原因を誰かに求めたくなることがあります。しかし、近年の支援や報道では、単純な責任追及ではなく、本人や家族が孤立しないことを重視する考え方が広がっています。この記事では、なぜひきこもりを「親の責任」とだけ捉えないのか、さらに自責や他責から離れるための考え方について解説します。
ひきこもり問題で「親の責任」と言われにくくなった理由
以前は、子どもの問題行動について家庭環境や親の教育が原因として語られることが多くありました。しかし現在では、ひきこもりに至る経緯は非常に複雑で、一つの原因だけで説明できないことが分かっています。
例えば、学校での人間関係のつまずき、いじめ、不登校、就職活動の失敗、職場でのストレス、精神的な不調、発達特性など、さまざまな要素が重なって社会との距離が広がることがあります。
そのため、現在の支援現場では「誰が悪かったのか」を探すよりも、「現在どのように孤立を減らし、本人や家族が回復への道を見つけるか」が重要視されています。
メディアが寄り添う姿勢を取る本当の意味
NHKのひきこもりに関する番組やラジオなどが、当事者や家族に寄り添う姿勢を示しているのは、問題を軽く見ているからではありません。
ひきこもり状態にある本人や家族は、すでに強い不安や苦しみを抱えている場合があります。そこに「親の責任だ」「本人の努力不足だ」という言葉だけが加わると、相談することへの抵抗が大きくなり、さらに孤立する可能性があります。
例えば、親が「自分の育て方が悪かった」と自分だけを責め続けると、外部の支援機関に相談する余裕を失うことがあります。責めることよりも、まずつながりを作ることが解決への第一歩になります。
ひきこもり問題を「犯人探し」から離れて考える
人は問題が起きると、原因となった人物を探したくなる傾向があります。しかし、複雑な社会問題では、一人の責任者を決めても問題解決につながらないことがあります。
ひきこもりの場合も、「親が悪い」「本人が悪い」と決めつけることで、家族関係や本人の自己肯定感がさらに悪化する可能性があります。
もちろん、家庭環境や親子関係が影響するケースもあります。しかし、それは「すべて親の責任」という単純な話ではなく、多くの要因が関係していると考える方が現実に近いでしょう。
非二元論の考え方から見る「罪悪感」と「責任」
ひきこもり問題で苦しむ人の中には、「自分が悪い」「親である自分のせいだ」と強い罪悪感を抱く人もいます。そのような苦しみを和らげる考え方の一つとして、非二元論の思想があります。
インド哲学やラメッシ・バルセカール(Ramesh S. Balsekar)の教えでは、「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個別の行為者はいない」という考え方が示されています。これは、すべての出来事を単純に誰かの責任にするのではなく、生命や環境、社会全体の流れの中で出来事を見る視点です。
例えば、「子どもがひきこもりになったのは親である自分の完全な失敗だ」と考える代わりに、「さまざまな条件が重なり、その出来事が起きた」と捉えることで、過剰な自己否定から離れる助けになる場合があります。
ただし「責任がない」と「何もしなくていい」は違う
非二元論や運命的な考え方は、問題から逃げるためのものではありません。大切なのは、罪悪感や怒りに支配されず、今できる行動を選ぶことです。
例えば、親が自分を責め続ける状態から離れることで、冷静に支援機関を探したり、本人との関係を見直したりできるようになります。
「誰かを責めない」ということは、問題を放置することではありません。現実を受け入れた上で、より良い方向へ進むための心の余裕を作ることです。
社会全体でひきこもりを考える時代へ
ひきこもりは家庭だけの問題ではなく、社会との関係の中で生まれる問題でもあります。そのため、本人や家族だけに負担を背負わせるのではなく、社会全体で支える仕組みが必要です。
支援の目的は、無理に短期間で社会復帰させることだけではありません。本人が安心できる場所を作り、少しずつ人や社会とのつながりを取り戻していくことも重要です。
「誰が悪いのか」ではなく、「どうすれば苦しんでいる人が孤立しなくて済むのか」という視点を持つことが、長期的な解決につながります。
まとめ|責めることより理解することが回復への道になる
ひきこもり問題は、親だけ、本人だけ、社会だけの責任として片付けられるものではありません。多くの要因が重なって起こるため、単純な原因探しでは本質的な解決には近づきません。
自責や他責から離れ、「さまざまな条件の中でこの出来事が起きた」と理解することは、心を軽くする一つの方法です。
大切なのは、誰かを責め続けることではなく、本人や家族が孤立せず、未来に向けて小さな一歩を踏み出せる環境を作ることです。


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