『伊曽保物語(いそほものがたり)』を読んでいると、現代の日本語とは異なる表現が多く登場するため、意味を取り違えやすい箇所があります。その中でも「蝉と来たつて蟻と申すは」という一節は、文だけを見ると「蝉が蟻と言ったのか」と疑問に感じる人も少なくありません。
しかし、この表現は当時の日本語の文法や言い回しを理解すると、別の意味であることが分かります。この記事では、「蝉と来たつて蟻と申すは」の意味や、『伊曽保物語』における表現の特徴について詳しく解説します。
古典作品を読む際には、現代語の感覚だけで判断せず、当時の助詞や敬語表現の使われ方を知ることが重要です。
「蝉と来たつて蟻と申すは」は蝉が蟻と言ったという意味ではない
結論から言うと、「蝉と来たつて蟻と申すは」は、蝉が自分のことを「蟻」と発言したという意味ではありません。
この文章の「と」は、現代語の引用を表す「〜と言う」の「と」とは異なり、並列や比較の意味で使われています。つまり、「蝉と蟻について言うならば」というような意味になります。
現代語で考えると、「犬と猫について話すならば」「夏と冬を比べるならば」のような表現に近いものです。
「申す」は発言ではなく古典特有の表現
「申す」という言葉を見ると、現代では「言う」の謙譲語として使われるため、誰かが発言したように感じるかもしれません。
しかし、古典文学では「〜と申す」は、物事の名前や呼び方を示す場合にも使われます。現代語の「〜というものは」「〜と呼ばれるものは」に近い用法です。
例えば、「花と申すは美しいものなり」という表現があれば、「花というものは美しいものだ」という意味になります。ここで花が自分で名前を名乗っているわけではありません。
『伊曽保物語』はイソップ寓話を日本語化した作品
『伊曽保物語』は、古代ギリシャの寓話作家イソップの物語を、日本の文化や言葉に合わせて翻訳・再構成した作品です。
そのため、動物や虫が人間のように会話する話が多く登場します。蝉と蟻の話もその一つで、働く蟻と夏を歌って過ごす蝉を対比させる有名な寓話です。
ただし、登場人物が会話する物語だからといって、すべての「申す」が登場人物のセリフを表しているわけではありません。文章全体の構造を見る必要があります。
蝉と蟻の話が伝えようとしている内容
この話では、夏の間に働いて食料を蓄えた蟻と、楽しく過ごして冬の準備をしなかった蝉が対比されています。
蟻は将来に備える存在として描かれ、蝉は目の前の楽しみを優先する存在として描かれています。この対比によって、計画性や努力の大切さを伝える教訓になっています。
例えば、現代の生活に置き換えると、将来のために貯金や勉強をする人と、今の楽しみだけを優先する人の違いを表していると考えられます。
古文を読むときは現代語の意味だけで判断しないことが大切
古典作品では、同じ漢字や言葉でも現代とは異なる使われ方をすることがあります。「申す」「候ふ」「侍り」などは、現代人がそのまま読むと誤解しやすい代表的な表現です。
また、助詞の「と」も重要です。引用を表す場合もあれば、比較や対象を示す場合もあります。そのため、一部分だけを見るのではなく、前後の文章と合わせて意味を考えることが必要です。
『伊曽保物語』のような作品を楽しむには、単語の意味だけでなく、当時の文章表現の特徴を知ることで、より正確に内容を理解できます。
まとめ
『伊曽保物語』の「蝉と来たつて蟻と申すは」は、蝉が「蟻」と発言したという意味ではありません。
この表現は「蝉と蟻について言うならば」「蝉や蟻というものは」という意味で、古典特有の「申す」の使い方によるものです。
古文は現代語と同じ感覚で読むと誤解しやすい部分がありますが、当時の文法や表現方法を知ることで、作品が伝えようとしている内容を正しく理解できます。


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