枕草子「いみじうねたうさへあり」の読み方と意味を解説|古典文法での音便と表現のポイント

文学、古典

『枕草子』の「文ことばなめき人こそ」の一節に登場する「いみじうねたうさへあり」という表現は、古典文法を学ぶうえで読み方や現代語訳に迷いやすい部分です。特に「う」の部分をどのように読むのか、「いみじゅう」と読むのかという疑問を持つ人も多くいます。

この記事では、「いみじうねたうさへあり」の正しい読み方、古典における音便の考え方、それぞれの単語の意味や文全体の内容についてわかりやすく解説します。

古典作品を正確に読むためには、現代の発音だけで判断せず、平安時代の文法や表記の特徴を理解することが大切です。

「いみじうねたうさへあり」の読み方

「いみじうねたうさへあり」は、一般的には「いみじうねたうさへあり」と読みます。現代仮名遣いの感覚で「いみじゅうねたうさえあり」と読むこともありますが、古典の本文を読む場合は、表記に合わせて「いみじう」と発音することが多いです。

ただし、「いみじう」の「う」は単独の音ではなく、古典文法上の変化によって生じたものです。古典では形容詞の活用によって語尾が変化し、発音上「う」の音が加わることがあります。

例えば、「いみじ」という形容詞は連用形になると「いみじく」ではなく、音便によって「いみじう」と表記されます。このような変化を理解すると、古典の読み方がより自然になります。

「いみじう」の意味と文法

「いみじ」は古典で非常によく使われる形容詞で、現代語の「すごい」や「ひどい」に近い意味を持ちます。ただし、良い意味にも悪い意味にも使われる点が特徴です。

この文章の「いみじう」は連用形で、「非常に」「たいそう」という意味になります。

現代語にすると、例えば「とても腹立たしい」「非常に悔しい」というように、程度が強いことを表していると考えられます。

「ねたう」はどのように読むのか

「ねたう」は、形容詞「ねたし」の連用形です。「ねたし」は現代語の「妬ましい」「悔しい」「しゃくに障る」という意味を持ちます。

そのため、「いみじうねたう」は「非常に悔しく」「たいそうしゃくに障って」という意味になります。

ここでも「ねたし」が連用形になることで「ねたく」ではなく「ねたう」と変化しています。これは古典特有の音便の一つで、文章を読む際の重要なポイントです。

「さへあり」の意味を確認する

「さへ」は古典文法で重要な助詞で、現代語の「〜まで」「〜さえ」にあたります。ここでは、ある状態に加えてさらに別の状態もあることを表しています。

つまり「ねたうさへあり」は、「悔しいことまである」「さらに腹立たしいことまである」というニュアンスになります。

例えば、「悲しいだけでなく、悔しいことまである」というように、予想以上の感情が加わる場面で使われます。

「文ことばなめき人こそ」の内容と合わせた意味

『枕草子』の「文ことばなめき人こそ」という部分では、手紙の書き方や言葉遣いが無礼な人について、清少納言が感じた不快感や批判が述べられています。

「なめき」は「馴れ馴れしい」「無礼な」という意味で、相手への礼儀を欠いた態度を指します。そのような人に対して、「いみじうねたうさへあり」と感じる様子が表現されています。

現代語で表すなら、「とても腹立たしく、悔しいとまで感じる」というような意味になります。

古典の読み方で注意したい音便のポイント

古典では、形容詞の連用形に「う」が現れることがあります。これは「ウ音便」と呼ばれる変化です。

例えば、以下のような例があります。

「よく」→「よう」
「はやく」→「はやう」
「いみじく」→「いみじう」

このような変化を知っていると、古典作品を読む際に「なぜこの形になるのか」を理解しやすくなります。

まとめ

『枕草子』の「いみじうねたうさへあり」は、「いみじうねたうさへあり」と読み、意味は「非常に悔しく、さらに腹立たしいことまである」という内容になります。

「いみじう」や「ねたう」は、形容詞の連用形が音便によって変化した形であり、古典文法では重要な表現です。

古典の文章は現代の読み方だけで判断すると難しく感じますが、音便や助詞の意味を理解すると、清少納言が表現した細かな感情まで読み取れるようになります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました