平安時代を代表する女流歌人・赤染衛門の和歌「ありしにも あらずなり行く 鐘の音 つきはてん世ぞ 哀れなるべき」は、移り変わる世の中への寂しさや、無常を感じる心を詠んだ歌です。
古文の表現は現代とは意味が異なる部分も多く、一見すると内容を読み取りにくい歌ですが、言葉の意味や背景を整理すると、人生や世のはかなさを感じた作者の思いが見えてきます。
この記事では、この和歌の現代語訳、語句の意味、歌に込められた赤染衛門の心情について分かりやすく解説します。
赤染衛門「ありしにも あらずなり行く 鐘の音」の現代語訳
この和歌は、次のように現代語訳できます。
「以前の状態とはすっかり変わっていく鐘の音よ。この先、ついには消えてしまうであろうその音のように、変わり果てていく世の中はなんとも悲しいものだ。」
ここでいう「鐘の音」は、単なる音ではなく、寺院の鐘が響く情景や、時間の流れ、そして仏教的な無常観を象徴しています。
和歌の各部分の意味を読み解く
「ありしにも あらずなり行く」は、「以前あった状態とは違うものになっていく」という意味です。「ありし」は「以前あったこと」を表し、「あらずなり行く」は「存在しないものへ変化していく」という流れを示しています。
「鐘の音」は、昔から和歌や文学でよく使われる題材です。寺の鐘は遠くまで響きますが、やがて消えていくため、人生や世の中の変化を表現するものとして扱われました。
「つきはてん世ぞ」は、「ついには尽きてしまう世である」という意味になります。「つき」は鐘を「突く」という意味と、「尽きる」という意味を掛けた表現になっています。
「鐘の音」に込められた無常観とは
この歌の中心にあるテーマは、平安時代の文学で重要な考え方だった「無常」です。無常とは、すべてのものは変化し、永遠に同じ状態では存在できないという考え方です。
例えば、美しく咲いた花がいつか散るように、人の暮らしや栄華も時が経てば変わってしまいます。赤染衛門は、消えていく鐘の音を通して、変化していく世界への寂しさを表現しています。
現代の感覚で考えると、昔よく訪れた場所がなくなった時や、大切だったものが変わってしまった時に感じる寂しさに近いものがあります。
赤染衛門がこの歌で表現した心情
赤染衛門は平安中期を代表する歌人で、宮廷社会の中で多くの和歌を残しました。彼女の作品には、身近な出来事から人生の深い感情を読み取るものが多くあります。
この歌では、大きな出来事を嘆くというよりも、少しずつ変わっていくものへの気づきや、それを受け止める切なさが表現されています。
鐘の音は一瞬だけ美しく響き、その後は静寂に戻ります。その姿を人の人生や世の中になぞらえることで、聞く人にも深い余韻を残す歌になっています。
この和歌を味わうポイント
この歌を理解するポイントは、鐘を単なる音として見るのではなく、「変化するものの象徴」として捉えることです。
例えば、昔は活気があった場所が時代の流れで変わってしまった時、人は過去との違いに寂しさを感じます。その感覚を、平安時代の人々は鐘の音や季節の移り変わりなどに重ねて表現しました。
赤染衛門の歌は、約千年前に作られたものですが、「変わってしまうことへの寂しさ」という感情は現代の私たちにも通じるものがあります。
まとめ
赤染衛門の「ありしにも あらずなり行く 鐘の音 つきはてん世ぞ 哀れなるべき」は、消えていく鐘の音を通して、変化していく世の中のはかなさを詠んだ和歌です。
「ありしにもあらずなり行く」は変化していく様子、「鐘の音」は無常を象徴し、「つきはてん世ぞ」は最後には消えてしまう世への思いを表しています。
この歌の魅力は、単なる昔の悲しみではなく、時代を超えて誰もが感じる「失われていくものへの寂しさ」を美しい言葉で表現している点にあります。


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