韓国語「안고 있었다」の主語は誰?文脈から主語を判断する方法を解説

韓国・朝鮮語

韓国語の文章を読む時、特に小説や文学作品では主語が省略されることが多く、「この動作をしているのは誰なのか」と迷うことがあります。今回のような「안고 있었다(抱いていた)」のような表現も、直前の主語だけを見ると判断しにくい表現です。

この記事では、韓国語の主語省略の特徴を踏まえながら、「나는 괜찮다고」と続く文章の中で「안고 있었다」の主語が誰になるのか、文脈から判断する方法を解説します。

韓国語では主語が繰り返されないことが多い

韓国語では、日本語と同じように文脈から分かる主語を省略することが非常によくあります。

例えば、「나는 밥을 먹고 있었다(私はご飯を食べていた)」の後に「물을 마셨다(水を飲んだ)」と続く場合、後の文に主語がなくても通常は同じ「私」が動作主だと理解されます。

そのため、文章を読む時は直前に出てきた主語だけではなく、その後の動作が誰に当てはまるかを考える必要があります。

「나는 괜찮다고 말했다」の構造を確認する

引用文の前半にある「나는 괜찮다고、괜찮은 사진이라고 반복해 말했다」は、「私は大丈夫だと、良い写真だと繰り返し言った」という意味です。

ここで「나는(私は)」が登場し、その後に「반복해 말했다(繰り返し言った)」という動作が続いています。

しかし、この「나는」は必ずしも後ろのすべての動作の主語になるわけではありません。韓国語では、文章の流れによって別の人物へ主語が移ることがあります。

「안고 있었다」の主語は「나는」ではない

問題の部分である「내 검은 블라우스의 가슴 윗부분이 젖도록 그녀가 우는 동안 두 팔로 어깨를 꽉 안고 었었다」は、「私の黒いブラウスの胸の上の部分が濡れるほど、彼女が泣いている間、(私は)両腕で肩を強く抱いていた」という意味になります。

この文の中で「안고 있었다(抱いていた)」の主語は、「나는」ではなく省略された「私(話し手)」です。

つまり、「나는 괜찮다고 말했다」の「나는」と「안고 있었다」の主語は、どちらも話し手である「私」と考えることができます。ただし、文法上は後半で改めて「나는」と書かれているわけではなく、省略されています。

「그녀가 우는 동안」が主語判断のポイント

主語を判断する大きな手掛かりになるのが「그녀가 우는 동안(彼女が泣いている間)」という部分です。

ここでは「그녀가(彼女が)」が「우는(泣いている)」という動作の主語になっています。一方、「안고 있었다」の動作をする人物は別に存在する必要があります。

文章全体を見ると、「彼女が泣いている間、誰かが彼女の肩を抱いていた」という状況になるため、抱いている人物は話し手である「私」と判断できます。

韓国語の「-는 동안」で主語が変わる場合

「-는 동안」は「〜している間」という意味を表します。この表現では、前半の節と後半の節で主語が変わることがあります。

例えば、「친구가 자는 동안 나는 책을 읽었다」は「友達が寝ている間、私は本を読んだ」という意味です。

この場合、「자는(寝る)」の主語は友達ですが、「읽었다(読んだ)」の主語は私です。同じように、引用文でも「그녀가 우는 동안」と「안고 있었다」は別の人物の動作になっています。

「안고 었었다」についての表記

引用文の「안고 었었다」は、おそらく「안고 있었다(抱いていた)」の入力ミスまたは表記上の誤りと考えられます。

韓国語では「-고 있다」が「〜している」という進行状態を表し、過去形になると「-고 있었다」で「〜していた」という意味になります。

そのため、「안고 있었다」は「抱いていた」という意味になり、ここでは話し手が彼女を抱いていた場面を表しています。

まとめ|「안고 있었다」の主語は文脈から判断する

「나는 괜찮다고」と「안고 있었다」は、どちらも話し手である「私」が主語だと考えられます。ただし、韓国語では同じ主語を何度も書かないため、「나는」が後半に省略されています。

一方で、「그녀가 우는 동안」の「그녀가」は泣く動作の主語であり、抱く動作の主語ではありません。

韓国語の小説を読む時は、単純に直前の主語を見るのではなく、「誰がその動作をできるのか」「文章全体の状況はどうなっているのか」を考えることで、自然な意味を読み取ることができます。

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