古典文法の「参る」と「参らす」の違いを簡単に覚える方法|敬語の方向で判断するコツ

文学、古典

古典文法でよく混乱しやすい表現の一つに「参る」と「参らす」があります。どちらも似た形をしているため、意味や敬語の種類を覚えるだけでは迷ってしまうことがあります。

しかし、「誰が誰に向かって動作をしているのか」という敬語の方向を意識すると、見分けやすくなります。この記事では、「参る」と「参らす」の違いや覚え方、古文読解で迷わないための考え方を解説します。

古典の「参る」は基本的に謙譲語として考える

古典の「参る」は、現代語の「行く」「来る」「差し上げる」などの意味を持つ謙譲語です。話し手側の動作を低く表し、相手を高める働きがあります。

例えば「帝の御前に参る」という文では、「帝の前に行く」という意味になります。ただ単に「行く」のではなく、身分の高い人のいる場所へ自分が出向くという意味で使われています。

覚える時は、「参る=自分がへりくだって相手のところへ向かう」と考えると整理しやすくなります。

古典の「参らす」は使役ではなく謙譲の意味に注意する

「参らす」は形だけを見ると「参る+す」に見えるため、「行かせる」という使役の意味だと思ってしまうことがあります。しかし、古典では「参らす」は主に謙譲語として使われ、「差し上げる」という意味になります。

例えば「文を参らす」という場合は、「手紙を差し上げる」という意味です。自分の行為を低く表しながら、相手への敬意を示しています。

つまり、「参る」は自分が相手のもとへ行く動作、「参らす」は物などを相手に差し上げる動作と考えると区別できます。

「参る」と「参らす」の覚え方は動作の向きを見る

この2つを覚える時は、言葉そのものを暗記するよりも、動作の方向を見ることが大切です。

表現 意味 イメージ
参る 行く・来る 自分が相手の場所へ向かう
参らす 差し上げる 自分のものを相手へ渡す

例えば、先生に会いに行く場合は「先生のもとへ参る」、先生に手紙を渡す場合は「先生へ文を参らす」となります。

「自分から相手へ向かう動きなのか」「物を相手へ渡す動きなのか」を考えると、意味を判断しやすくなります。

古文読解では敬語の主体と対象を確認する

古文で敬語を見分ける時に重要なのは、その動作をしている人物と、その敬意を向けている人物を確認することです。

例えば「女房、御前に参りて申し上ぐ」という文章なら、「女房」が「御前」に行く動作なので、「参りて」は謙譲語になります。

一方で「これを殿へ参らせ給ふ」のような表現では、物を殿へ差し上げる意味になるため、「参らす」の意味で判断します。

似た敬語と一緒に整理すると覚えやすい

古典敬語は単独で覚えるより、似た意味の言葉と比較すると理解が深まります。

「参る」は「伺ふ」「上る」などと同じように、身分の低い側から高い側へ向かう動きを表します。また「参らす」は「奉る(たてまつる)」と同じように、「差し上げる」という意味で使われます。

敬語は単語の意味だけではなく、人間関係や場面を読み取ることが重要です。文章全体を見る習慣をつけると、迷うことが少なくなります。

まとめ:「参る」は向かう、「参らす」は差し上げる

古典の「参る」と「参らす」は形が似ていますが、意味は異なります。

「参る」は自分が相手のところへ行く謙譲語、「参らす」は相手に何かを差し上げる謙譲語として覚えると整理できます。

迷った時は、「誰が動作をしているか」「その動作はどちらへ向かっているか」を確認しましょう。敬語の方向を意識することで、古文の読解力も大きく向上します。

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