『徒然草』には、現代語訳すると意味が取りにくい表現が多く登場します。その中でも「一目なりともおそく負くべき手につくべし」という一節にある「負くべき手」の「べき」は、現代語の「〜するべき」という義務の意味とは異なるため、注意が必要です。
この記事では、「負くべき手」の「べき」がどのような文法的意味で使われているのか、古典文法の助動詞「べし」の用法から分かりやすく解説します。
「負くべき手」の意味を確認する
問題となる「負くべき手」は、現代語にすると「負けるような手」「負けるはずの手」といった意味になります。
ここでの「負く」は動詞「負く(まく)」の連体形で、「負ける」という意味です。そして「べき」は、古典文法の助動詞「べし」が連体形になったものです。
つまり「負くべき手」は、直訳すると「負けるべき手」ではありますが、現代語のように「負けなければならない手」という意味ではありません。
古典の助動詞「べし」には複数の意味がある
古典文法の助動詞「べし」には、現代語の「〜べきだ」という義務だけではなく、さまざまな意味があります。
代表的な意味には、以下のようなものがあります。
| 意味 | 内容 |
|---|---|
| 推量 | 〜だろう、〜のはずだ |
| 意志 | 〜しよう |
| 可能 | 〜できる |
| 当然・義務 | 〜するべきだ、〜しなければならない |
| 命令 | 〜せよ |
| 適当 | 〜するのがよい |
そのため、「べし」が出てきた場合は、必ず「〜するべき」と訳すのではなく、文章全体の意味から判断する必要があります。
「負くべき」の「べし」は推量・当然の意味
「負くべき手」の場合、「べし」は義務ではなく、負ける可能性や性質を表す用法です。
つまり、「負くべき手」とは「負けるべき手(負けなければならない手)」ではなく、「負けるような手」「負けるはずの手」という意味になります。
例えば、「これは失敗すべき方法だ」と言う場合、現代語では少し不自然ですが、古典の「べし」には「そうなる性質を持つ」「そうなると考えられる」という意味があります。
「一目なりともおそく負くべき手につくべし」の内容
この一節は、囲碁や勝負事に関する話の中で使われています。
「一目なりともおそく負くべき手につくべし」は、相手に負けることが分かっているような状況でも、できるだけ早く負けを認めるのではなく、少しでも長く勝負を続けるような手を選ぶべきだ、という趣旨で解釈されます。
ここでの「負くべき手」は「負けなければならない手」ではなく、「やがて負けることになる手」「負けるような状況になる手」という意味になります。
現代語の「べき」と古典の「べし」は違う
現代日本語では「学生は勉強するべきだ」のように、「べき」は義務や当然を表すことが多くなっています。
しかし古典の「べし」は、義務だけでなく「当然そうなるだろう」「そのような性質がある」という意味でも頻繁に使われます。
そのため、古典を読む際に「べき=〜しなければならない」と決めつけると、意味を誤って理解してしまうことがあります。
まとめ|「負くべき手」の「べき」は義務ではなく「負けるような・負けるはずの」という意味
『徒然草』の「負くべき手」の「べき」は、助動詞「べし」の連体形で、現代語の「〜するべき」という義務の意味ではありません。
この場合は「負けるような手」「負けることになる手」という意味を表しており、古典文法では推量や当然の意味に近い用法として理解できます。
古典の助動詞は、現代語と同じ形でも意味が異なることがあります。「べし」を見たときは、文脈に合わせて判断することが、正確な読解につながります。


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