古文を読んでいると、現代でも使われる漢字であっても、文脈によって読み方や意味が変わることがあります。『十訓抄』の「粟田讃岐守兼房の夢さめて後【朝】に、絵師をよびて、此の様をかたりて」という一節も、その一例です。
この記事では、この文章に出てくる「朝」の読み方が「あさ」でよいのか、古文としてどのように解釈するべきなのかを、文脈や古典文法の観点から詳しく解説します。
『十訓抄』の「朝」の読み方
結論から言うと、『十訓抄』の「夢さめて後朝に」の「朝」は「あした」と読むのが適切です。
現代日本語では「朝」を「あさ」と読むことが一般的ですが、古文では「朝」を「あした」と読む場合があります。「あした」は現代語の「翌日の朝」や「翌日」という意味で使われる古語です。
そのため、この文章は「夢から目が覚めた後、翌朝に絵師を呼んで」という意味になります。
古文における「朝(あした)」の意味
古文で使われる「あした」は、現在の「朝」という時間帯だけを表す言葉ではありません。平安時代や中世の文章では、「夜が明けた翌朝」や「翌日」を表すことが多くあります。
例えば、『枕草子』や『徒然草』などの古典作品でも「あした」という表現が登場します。この場合、単純に朝早い時間を指すだけではなく、前日の出来事を受けた次の日という時間の流れを示しています。
今回の「夢さめて後朝に」という表現も、夢を見た夜が終わり、次の日の朝になったことを表していると考えられます。
なぜ「あさ」ではなく「あした」と読むのか
「朝」と書いて「あさ」と読むことも間違いではありません。しかし、古文の読解では現代の意味だけで判断せず、その時代の言葉の使われ方を見る必要があります。
もし「あさ」と読むと、「夢から目覚めた後、朝に絵師を呼んだ」という意味になり、大きな間違いではありません。ただし、『十訓抄』が書かれた時代の用法では「あした」の方が自然です。
古文では、このように漢字の表記だけを見るのではなく、当時の日本語としてどのような意味で使われていたかを考えることが重要です。
『十訓抄』の文章全体から考える意味
「夢さめて後朝に、絵師をよびて、此の様をかたりて」という部分は、夢から覚めた後に兼房がその内容を絵師へ伝え、絵に描かせようとした場面です。
ここで重要なのは、「後」という言葉が前にあることです。「夢さめて後朝に」は「夢から覚めた後の翌朝」という時間の経過を表しています。
例えば現代語で「昨日の夜に夢を見て、目が覚めた翌朝に友人へ話した」と言う場面を考えると、古文の「あした」が示す時間感覚を理解しやすくなります。
古文で注意したい「朝」の読み方
古文では、同じ漢字でも現代とは異なる読みや意味を持つものが多くあります。「朝」もその代表例で、「あさ」と読む場合と「あした」と読む場合があります。
読み分けるポイントは文脈です。単純に時間帯としての朝を表す場合は「あさ」と読むこともありますが、前日の出来事との関係や翌日の意味が含まれる場合は「あした」と考えることが多くなります。
古文読解では、漢字の読みを丸暗記するよりも、その言葉が文章の中でどのような役割をしているかを見ることが大切です。
まとめ|『十訓抄』の「朝」は「あした」と読む
『十訓抄』の「夢さめて後朝に、絵師をよびて」の「朝」は、「あさ」ではなく「あした」と読むのが適切です。
古文における「あした」は、現代の「朝」よりも広い意味を持ち、「翌朝」「翌日」という時間を表します。
古典作品を正確に読むためには、現在の日本語の感覚だけで判断せず、当時の言葉の意味や使われ方を理解することが重要です。


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