夏目漱石の『吾輩は猫である』には、現代ではあまり見かけない漢字の読み方や表現が数多く登場します。その中でも「蹲踞(うずくま)っている」という表現は、「そんきょ」と読むのではないのか、なぜこのような読み方をするのかと疑問に感じる人もいます。この記事では、「蹲踞」という漢字の意味や読み方、明治時代の文章で使われた表現について詳しく解説します。
「蹲踞っている」は「そんきょっている」ではなく「うずくまっている」
『吾輩は猫である』の「その真中に一の動物が蹲踞(うずくま)っているところをパステルで書いてある」という部分では、「蹲踞」は「うずくまる」と読みます。
現在の日本語では「蹲踞」という漢字を見ると、相撲や武道などで使われる「そんきょ」という読みを思い浮かべる人も多いですが、同じ漢字でも文脈によって読み方や意味が変わります。
この場合の「蹲踞」は、体を丸めてしゃがみ込む姿を表しており、猫が小さく丸まって座っている様子を描写しています。
「蹲踞」という漢字が持つ本来の意味
「蹲」という字には、しゃがむ、うずくまる、低い姿勢になるという意味があります。「踞」にも、腰を下ろして座るという意味があります。
そのため「蹲踞」は、もともと「しゃがんで座ること」や「うずくまる姿勢」を表す漢語です。漢字の意味としては、現代で使われる「うずくまる」と非常に近いものです。
一方で「そんきょ」という読みの場合は、礼法や武道における姿勢を指すことが多く、両足をそろえてしゃがむ正式な座り方を意味します。
なぜ「蹲踞」を「うずくまる」と読むのか
日本語では、漢字に日本固有の読みである訓読みを当てることがあります。「蹲踞」は中国由来の漢字ですが、日本では意味が近い「うずくまる」という和語を対応させて読むようになりました。
例えば「生」という漢字も、「せい」「しょう」「なま」「いきる」など複数の読み方があります。漢字は一つでも、文章の意味によって適切な読みが選ばれます。
『吾輩は猫である』の文章では、猫の姿を描写しているため、武道の姿勢である「そんきょ」ではなく、丸まっている状態を表す「うずくまる」という読みが自然になります。
明治時代の文学では難しい漢字表現がよく使われた
夏目漱石が活躍した明治時代の文学では、現在よりも漢字を多く使った表現が一般的でした。作家は文章に細かな情景や雰囲気を出すため、漢語や難しい漢字表現を積極的に取り入れていました。
現代なら「猫が丸まっている」「猫がしゃがんでいる」と書く場面でも、当時の文学では「蹲踞っている」のような表現によって、より格調高い文章にすることがありました。
そのため、現代の読者から見ると「なぜこんな難しい漢字を使うのか」と感じる表現でも、当時としては自然な文学表現だったのです。
「そんきょ」と「うずくまる」の違い
「そんきょ」と「うずくまる」は、どちらも低い姿勢になることを表しますが、使われる場面や印象が異なります。
「そんきょ」は、相撲の力士が取組前に取る姿勢や、武道で礼をするときの姿勢など、意識的に取る正式な座り方を指します。
一方、「うずくまる」は、体を丸めるようにして座る自然な状態を表します。寒さで体を縮めたり、猫が丸くなって休んだりする様子にも使われます。
まとめ:『蹲踞』は文脈によって「うずくまる」と読む
『吾輩は猫である』の「蹲踞っている」は、「そんきょっている」ではなく「うずくまっている」と読むのが正しい表現です。
「蹲踞」という漢字自体には、しゃがむ、うずくまるという意味があり、日本語では文脈によって「そんきょ」と「うずくまる」の両方の読み方が存在します。
明治文学では、このような漢字を活用した表現が多く使われていました。難しい漢字でも、前後の文章や描写されている状況を見ることで、本来の意味を理解できます。


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