『栄花物語』「東宮の御代に会はせたまふべく聞こえさせたまふ」の意味を解説|主語と敬語から読み解く古文読解

文学、古典

『栄花物語』には、敬語表現や省略された主語が多く登場するため、誰が誰に話しているのかを把握することが難しい箇所があります。

特に「東宮の御代に会はせたまふべく聞こえさせたまふ」という表現は、「東宮の御代を見る」という意味なのか、「誰が申し上げているのか」が分かりにくい部分です。この記事では、文法や敬語の働き、前後関係からこの一文の読み方を整理します。

「東宮の御代に会はせたまふべく聞こえさせたまふ」の現代語訳

まず、この部分の意味を大まかに確認します。

「東宮の御代に会はせたまふべく聞こえさせたまふ」は、現代語にすると「東宮の御代をご覧になることになるように申し上げなさる」または「東宮の御代にお会いになるように申し上げなさる」といった意味になります。

ただし、「会ふ」という動詞は現代語の「会う」だけではなく、古文では「経験する」「遭遇する」「その時代に生きる」といった意味で使われる場合があります。そのため、この場合の「東宮の御代に会ふ」は「東宮が治める時代を迎える」という意味で理解する必要があります。

「東宮の御代」は誰が見るのか

ここで注意したいのは、「東宮の御代」という言葉が誰か個人の行動を表しているのではなく、東宮が天皇になった後の治世を指している点です。

つまり、「東宮の御代に会はせたまふ」は「東宮の御代を迎えなさる」「その時代に生きることになる」という意味になります。

質問のように「道長が東宮の御代を見ると言っているのか」と考えてしまいやすいですが、この表現は道長自身の希望や発言を直接表しているとは限りません。古文では、尊敬語が使われている人物を見極めることが重要です。

「聞こえさせたまふ」の主語を考える

この文で主語を判断する鍵になるのが「聞こえさせたまふ」です。

「聞こゆ」は謙譲語で、「申し上げる」という意味になります。「聞こえさせたまふ」は、さらに尊敬表現の「たまふ」が付いた形で、「申し上げなさる」という非常に高い敬意を表しています。

つまり、この動作をしている人物は、単純に道長本人とは考えにくく、身分の高い人物に対して何かを申し上げる場面で使われている可能性があります。

古文では「たまふ」が付いているからといって、必ずしも文中の一番身分が高い人物が主語とは限りません。誰から誰への敬意なのかを考える必要があります。

道長が主語ではないと考える理由

道長は『栄花物語』の中でも非常に重要な人物ですが、文章の中では必ず道長が中心になるとは限りません。

もし道長が「東宮の御代に会うべきだ」と誰かに申し上げているなら、後の「恨み申し上げる」という表現との関係が不自然になる場合があります。

そのため、この箇所では「誰が東宮の御代を見るのか」ではなく、「誰が誰に対してこの内容を申し上げているのか」を考えることが大切です。

古文で主語を判断するときのポイント

古文読解では、現代文のように主語が明示されることは少なく、敬語や文脈から人物を特定します。

特に重要なのは以下の3点です。

  • 尊敬語が付いている動作の主語を確認する
  • 謙譲語が誰への敬意を示しているかを見る
  • 直前まで話題の中心だった人物を確認する

例えば、「申し上げる」という謙譲語があれば、その行為をしている人物は相手より身分が低い可能性があります。一方で、「たまふ」などの尊敬語があれば、その動作の主体は高い身分の人物です。

まとめ

『栄花物語』の「東宮の御代に会はせたまふべく聞こえさせたまふ」は、「誰かが東宮の時代を見る」という単純な意味ではなく、「東宮が治める時代を迎えることになる」という意味で読むのが自然です。

また、「聞こえさせたまふ」という敬語表現から、主語を道長だとすぐに決めるのではなく、誰が誰に申し上げているのかを考える必要があります。

古文では、単語の意味だけではなく、敬語の方向や文章全体の人物関係を確認することで、複雑な主語の省略も正確に読み取れるようになります。

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