夏目漱石の『吾輩は猫である』には、現代ではあまり使われない言葉や読み方が登場します。そのため、「解さない」という表現を見たときに、どのように読むのか迷う人も少なくありません。
この記事では、『吾輩は猫である』の文章に登場する「解さない」の読み方や意味、なぜその読みになるのかについて、古い日本語表現も踏まえて分かりやすく解説します。
「解さない」の読み方は「かいさない」ではなく「げさない」
『吾輩は猫である』に出てくる「解さない」は、「かいさない」ではなく「げさない」と読みます。
「解する(げする)」という言葉があり、これは「意味や事情を理解する」「分かる」という意味です。その否定形が「解さない(げさない)」になります。
つまり、「主人は解さないのである」という文章は、「主人は理解していないのである」という意味になります。
「解する(げする)」という言葉の意味
「解する」という言葉は、現在の日常会話ではあまり使われませんが、文学作品や評論文などでは見ることがあります。
例えば以下のような使い方があります。
| 表現 | 意味 |
|---|---|
| 事情を解する | 事情を理解する |
| 意味を解する | 意味を読み取る |
| 趣旨を解する | 内容や目的を理解する |
現代語で言えば、「理解する」「把握する」「分かる」に近い表現です。
なぜ「解す」を「かいす」と読まないのか
「解」という漢字には複数の読み方があります。例えば「解決(かいけつ)」「理解(りかい)」では「かい」と読みます。
しかし、「解する」という熟語では「げする」と読むのが一般的です。これは漢字の音読みが複数存在するためで、言葉ごとに決まった読み方を覚える必要があります。
同じ漢字でも、使われる熟語によって読み方が変わる例は日本語では珍しくありません。
『吾輩は猫である』での「解さない」の意味
問題の文章である「実は行徳の俎と云う語を主人は解かいさないのであるが」は、現代語にすると「実は『行徳の俎』という言葉を主人は理解していないのであるが」という意味になります。
ここでの「解さない」は、単に知らないという意味ではなく、その言葉の意味や由来を理解していないというニュアンスがあります。
夏目漱石は、こうした少し古風な言葉遣いを使うことで、登場人物の知識や性格、文章全体の雰囲気を表現しています。
「行徳の俎」とは何を指しているのか
「行徳の俎(ぎょうとくのまないた)」は、江戸時代から使われた表現の一つです。「俎」は料理に使うまな板を意味します。
ただし、この表現は単純に道具を指すだけではなく、文脈によって特別な意味や比喩的な意味を持つことがあります。
『吾輩は猫である』では、猫の視点から人間の知識や会話のおかしさを描く場面で使われており、「主人がその言葉を理解していない」という滑稽さにつながっています。
古典文学を読むときは漢字の読みより文脈が重要
近代文学では、現代では使われなくなった読み方や表現が多く登場します。そのため、漢字だけを見て判断すると読み間違えることがあります。
例えば「解する」は「解決」などの「かい」という読みにつられやすいですが、文章全体の意味を見ることで「理解する」という意味の「げする」だと判断できます。
古い文学作品を読む際は、漢字の読みだけでなく、その言葉が文章の中でどのような役割をしているのかを考えることが大切です。
まとめ
『吾輩は猫である』に登場する「解さない」は「かいさない」ではなく「げさない」と読みます。
これは「解する(げする)」という言葉の否定形で、「理解しない」「意味を分かっていない」という意味になります。
夏目漱石の作品には、現代では馴染みの薄い表現が多く登場しますが、漢字の一般的な読み方だけで判断せず、文脈や当時の日本語表現を確認すると、より深く作品を楽しむことができます。


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