『なにたてる春とはいはし神無月紅葉にましる花もこそあれ』の意味をわかりやすく解説|黄葉和歌集の現代語訳と鑑賞

文学、古典

『黄葉和歌集』に収録されている「なにたてる春とはいはし神無月紅葉にましる花もこそあれ」は、季節外れに咲いた桜を見て詠まれた和歌です。一見すると意味が取りにくい表現ですが、古語の文法や当時の感覚を理解すると、作者の機知に富んだ発想が見えてきます。この記事では和歌の現代語訳とともに、特に後半部分の意味を詳しく解説します。

和歌の原文と詞書

詞書には「十月晦日に、桜のさきけるを人のみせけれは」とあります。

これは「十月の末日に、人が咲いている桜を見せてくれたので」という意味です。

なにたてる
春とはいはし神無月
紅葉にましる花もこそあれ

和歌全体の現代語訳

この歌は次のように現代語訳できます。

『どうしてこれを春だと言うだろうか。今は神無月(十月)なのだから。紅葉の中に花が混じって咲いていることだってあるのだから。』

つまり、十月に桜が咲いているのを見ても、それだけで春が来たとは言わないという意味です。

「なにたてる春とはいはし」の意味

「なにたてる」は「なに立てて」と考えられ、「何を根拠にして」という意味になります。

したがって「なにたてる春とはいはし」は、「何を根拠に春だとは言わない」という意味になります。

桜が咲いているという事実だけでは、季節が春になった証拠にはならないと述べているのです。

「神無月紅葉にましる花もこそあれ」の意味

神無月は旧暦十月を指します。

「紅葉にましる花」は、「紅葉の中に混じって咲いている花」という意味です。

また「こそあれ」は、「〜ということもあるのだから」「〜だってあるのだから」という逆接的な強調表現です。

したがって後半部分は、「十月でも紅葉の中に花が咲くことはあるのだから」という意味になります。

作者は「桜が咲いている=春」という単純な発想を、機知をもって否定しているのです。

この和歌の面白さと鑑賞ポイント

桜は本来春を象徴する花ですが、まれに季節外れに咲くことがあります。

作者はその珍しい光景を見て驚くだけではなく、「だからといって春とは言えない」と冷静かつ洒落た視点で表現しました。

紅葉と桜という本来同時には見られない景物を一つの歌の中で対比させている点も魅力です。

表現 意味
なにたてる 何を根拠にして
春とはいはし 春だとは言わない
神無月 旧暦十月
紅葉にましる花 紅葉の中に混じる花
こそあれ 〜ということもあるのだから

まとめ

『なにたてる春とはいはし神無月紅葉にましる花もこそあれ』は、十月に咲いた桜を見て「桜が咲いたからといって春だとは言えない」と詠んだ和歌です。

特に後半の「神無月紅葉にましる花もこそあれ」は、「十月でも紅葉の中に花が咲くことはあるのだから」という意味になります。

季節の常識を逆手に取った機知と、紅葉と桜を同時に描く美しい発想が、この和歌の大きな魅力といえるでしょう。

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