一時期、テレビやSNS、学校や職場などあらゆる場所で耳にした流行語やネットミーム。しかし数年後には、まるで最初から存在しなかったかのように誰も口にしなくなることがあります。エグスプロージョンの「本能寺の変」もその代表例です。なぜ人々はあれほど熱狂したものを突然やめてしまうのでしょうか。本記事では、流行現象の仕組みと人々の心理について解説します。
「本能寺の変」が流行したのは面白さだけが理由ではない
流行したネタを振り返ると、多くの人は「本当にそんなに面白かったのだろうか」と疑問を持つことがあります。しかし流行は、作品そのものの面白さだけで成立するわけではありません。
例えば「本能寺の変」は、覚えやすいリズム、歴史ネタという分かりやすさ、動画サイトやSNSでの拡散力が重なったことで爆発的に広まりました。
つまり人々はネタ単体を楽しんでいたというより、みんなで共有できる話題として楽しんでいた側面が大きかったのです。
流行を楽しむ人はどこへ消えたのか
結論から言うと、流行を楽しんでいた人たちは消えたわけではありません。
現在も普通に仕事をしたり学校に通ったり、別の趣味を楽しんだりしています。そして当時「本能寺の変」を真似していた人は、今では別の流行語や動画、SNSコンテンツを楽しんでいる可能性が高いでしょう。
人は流行そのものに執着しているのではなく、その時代の話題に参加することを楽しんでいる場合が少なくありません。
なぜ流行は急激に終わるのか
流行には「新鮮さ」が必要です。同じネタを何度も見続けると、人間は次第に慣れてしまいます。
| 流行の段階 | 人々の反応 |
|---|---|
| 流行前 | 新鮮で興味を引く |
| 流行中 | みんなが共有して盛り上がる |
| 飽和期 | 見慣れて刺激が減る |
| 衰退期 | 新しい話題へ移行する |
これは音楽、ファッション、ギャグ、SNS投稿などほぼ全ての流行に共通しています。
かつて大人気だった言葉や芸人のギャグが使われなくなるのも、人々の興味が自然に移り変わるためです。
流行を理解できない人と楽しめる人の違い
流行に対して「なぜ面白いのか分からない」と感じる人もいます。これは決して珍しいことではありません。
人によって価値を感じるポイントが異なるからです。作品そのものの完成度を重視する人もいれば、みんなで同じものを共有する体験に価値を感じる人もいます。
そのため、「面白いから流行る」というより、「流行っているから参加する」という心理も少なからず存在します。
流行は文化というよりコミュニケーションの道具
社会学では、流行はコミュニケーションを円滑にするための共通言語として機能すると考えられています。
学校で流行語を真似したり、職場で話題の動画について話したりするのは、その内容そのものよりも「同じ話題を共有すること」に意味があります。
つまり「本能寺の変」を真似していた人たちは、そのネタを永遠に愛していたわけではなく、その時代の共通言語として楽しんでいたとも言えるでしょう。
まとめ
「本能寺の変」を真似して大喜びしていた人たちは、どこかへ消えたわけではありません。人々は流行そのものを愛しているというより、その時々の話題を共有することを楽しんでいます。
流行が終わるのは、そのネタが突然つまらなくなったからではなく、新鮮さが失われ、人々の関心が別の対象へ移ったからです。流行語やネットミームが消えていく現象は、人間のコミュニケーションや社会心理の自然な変化として理解することができます。


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