『枕草子』における「〜宮に初めて参りたる頃〜から女官ども参りて」という表現は、古典日本語における敬語の使い方を理解する上で重要な例です。ここでの「参り」は、誰に対して敬意を示しているのか、どの方向の謙譲表現かがわかりにくい場合があります。
「参り」の基本的意味
古典日本語での「参る」は、基本的に「行く」「来る」の謙譲語として使われます。話者自身や自分側の行動に使うことで、相手に対して敬意を示す表現です。
そのため、清少納言が「宮に参りたる」と書いた場合、これは中宮に対する謙譲語であり、自分自身の行為を低めて相手を立てる意味を持っています。
女官の「参りて」との関係
続く「女官ども参りて」は、女官たちが宮に向かう動作を表現しています。ここで「参り」は、女官から中宮への敬意の方向を示す表現であり、清少納言の文章上は女官たちの動作を描写する形で使われています。
つまり、作者の視点から女官の行動を描写しつつ、全体として宮への敬意を示す形になっています。
敬意と謙譲の方向の整理
整理すると、「参り」は清少納言自身が宮に向かう場合は謙譲語で、中宮に対する敬意を表します。一方、女官たちが宮に向かう場合の「参り」は、女官たちの敬意が中宮に向かっていることを示します。
文章全体として、宮への敬意を中心に据えつつ、作者自身と女官の動作を描写しているため、敬意の方向は常に中宮に向かっていると理解できます。
まとめ
枕草子のこの箇所での「参り」は、清少納言から中宮への謙譲表現としての用法と、女官たちが中宮に向かう敬意表現が重なって使われています。古典日本語の敬語表現は、文脈によって謙譲語と尊敬語の方向が異なるため、作者と対象の関係を整理すると理解しやすくなります。


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