「おどろき給へれば」の解釈とその訳し方:古典文学における「から」と「ところ」の違い

文学、古典

「ものにおそはるる心地して、おどろき給へれば、灯も消えにけり。」という文の中で、「おどろき給へれば、」の部分を「はっと目をお覚ましになった【から】」ではなく、「はっと目をお覚ましになった【ところ】」と訳す理由について解説します。この微妙な違いを理解することは、古典文学を学ぶ上で非常に重要です。

「おどろき給へれば」の文法と意味

「おどろき給へれば」という部分は、古語で「おどろく(驚く)」という動詞に、尊敬語の「給ふ(たまふ)」がついています。この文は、目を覚まさせるような状況、すなわち「驚いた」という意味を持っています。

「給へれば」は、「たまふ(給ふ)」の連用形「給へ」と、接続助詞「れば」を組み合わせたものです。「れば」は条件を表す助詞であり、「〜したところ」と訳されることが多いです。これを踏まえると、「おどろき給へれば」は「驚いたところ」と解釈することが自然です。

「から」と「ところ」の違い

現代語訳で「から」と「ところ」の使い分けは重要です。「から」は理由を示す接続詞であり、動作の結果として何かが起こることを強調します。一方、「ところ」は動作が終わった「地点」や「状況」を示す表現であり、動作が完了したことに焦点を当てています。

したがって、「おどろき給へれば、灯も消えにけり。」という文では、「驚いたところ(=驚いた結果)」として解釈するのが適切です。この場合、驚くという動作が完了し、その後に灯が消えたという事実に繋がるため、「ところ」が最も自然な訳し方になります。

「おどろき給へれば」の文脈と訳し方の選択

「おどろき給へれば」という部分の訳し方は、文脈によっても変わりますが、ここでは「はっと目をお覚ましになった【ところ】」と訳す方が適切です。なぜなら、この文は単なる驚きの結果としての出来事を描写しているからです。

一方、「【から】」と訳すと、「驚いたことが原因で灯が消えた」となり、因果関係が強調されすぎて、元の文の微妙なニュアンスが失われる可能性があります。そのため、動作の結果として灯が消えたという解釈がより適切です。

まとめ

「おどろき給へれば、灯も消えにけり。」の中の「おどろき給へれば、」を「はっと目をお覚ましになった【ところ】」と訳す理由は、文法的な違いにあります。「から」ではなく「ところ」を使うことで、動作の結果としての自然な流れが表現されます。このような細かな違いを理解することは、古典文学を読む際に非常に重要です。

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