朝日新聞デジタルの記事「能力不足は自己責任ではない 社会心理学者が暴く学校教育のごまかし」は、私たちの社会で深く根付いている「自己責任論」と「能力主義」に対する強烈な批判を展開しています。この記事の核となる主張は、成功や失敗が個人の能力や努力によって決まるという考え方が、実は社会的な構造や偶然の要因によって作り上げられた虚構であるという点です。この記事を元に、社会心理学者小坂井敏晶氏の主張とその哲学的背景について考察します。
自由意志と能力主義の虚構
小坂井敏晶氏が指摘する「自由意志は虚構である」という考え方は、近代社会が人間の自己決定を絶対視する考え方を批判しています。近代における自由意志の概念は、もともとは「神の意志」に取って代わる形で登場しました。しかし、実際には私たちの選択や決定は遺伝的要因や育った環境、偶然の出会いなどの外的要因に大きく左右されており、自由意志という感覚自体が外部の影響によって作り出された幻影であると小坂井氏は主張します。
この立場は、「能力主義」の詭弁とも深く関わっています。能力主義は、個人の努力と能力によって成功が決まるという社会的な枠組みであり、それを支持する教育システムや社会構造が存在しますが、実際には遺伝や環境が大きな影響を与えており、成功も失敗も個人の責任だけではないという点を強調しています。
学校教育と能力主義の問題
学校教育は、社会的な格差を「能力差」として正当化する装置として機能しています。入試や試験を通じて「公正な競争」が行われ、個人が努力すれば成功するという理論が信じられています。しかし、小坂井氏は、この競争が実際には不公平であり、裕福な家庭に生まれるか、教育環境に恵まれるかなど、個人の能力に関係ない要素が結果に大きく影響していると指摘します。
その結果、「能力不足は自己責任」という考え方が広まり、社会構造の問題を見過ごすことにつながっています。この現象が、社会全体で格差を固定化し、教育システムが「不平等」を隠蔽する役割を果たしているというのが小坂井氏の主要な批判点です。
偶然と運の役割について
小坂井氏が重視するのは「偶然」の役割です。彼は、すべての出来事が予測不可能な偶然の積み重ねであるとし、人生がどのように展開するかは外的要因に大きく依存していると考えています。この見方は、運命がすべてを決定する「決定論」とは異なり、未来は開かれているという希望を与えるものでもあります。
彼の提案する「クジ引きで入試を決める」という皮肉的なアイデアは、すべてが外的要因で決まるのであれば、最初からそのようにすれば不平等な出自や運の格差を隠す必要がないという強烈な批判を込めたものです。これは、能力主義を批判する一つの方法として、社会の不公平さを鋭く浮き彫りにしています。
自己責任論からの解放と虚無感の危険性
小坂井氏の考え方には、自己責任論からの解放という側面があります。失敗や困難に直面して自分を責めることが多い現代人にとって、すべてが外部要因によって決まるという認識は、心の平安を取り戻す手助けとなるかもしれません。しかし、この考え方には「何をしても無駄だ」という虚無感や宿命論に陥る危険性もあります。
小坂井氏は、この「偶然」を積極的に受け入れ、未来を予測できないからこそ希望が生まれると強調しています。運命の決定論に陥ることなく、偶然の力を受け入れることこそが、新たな希望や可能性を生むとしています。
まとめ
小坂井敏晶氏の主張は、私たちが当たり前だと信じている「自由意志」や「能力主義」の根本的な問題を鋭く指摘するものです。彼の考え方は、社会の不平等を浮き彫りにし、現代の教育システムに対する批判的な視点を提供しています。自由意志や能力の自己責任論から解放されることは、私たちが社会の不公平を見過ごすことなく、より公正で平等な社会を築くための第一歩であると言えるでしょう。


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