伊勢物語の冒頭部分、「しるよしして狩に往にけり」という一文は、古典古文を学ぶ上でよく目にする文です。現代語訳として、「その土地を所有している縁で狩に出かけた」と解釈されることが一般的ですが、この解釈が正しいのか、そして「して」という格助詞がどのように使われているのかについて深く掘り下げて考察します。
「しるよしして狩に往にけり」の現代語訳の問題点
「しるよしして狩に往にけり」という文の現代語訳において、しばしば「その土地を所有している縁で狩に出かけた」とされますが、この解釈には疑問の余地があります。というのも、「して」という格助詞が本来持つ意味とこの訳が一致しないように感じるからです。
「して」という格助詞は通常、手段や方法を示すものであり、そのため「縁」を前に持ってくるのは自然な構造とは言えません。従って、翻訳が直訳的に「縁」を前に持ってくることが無理矢理に感じるのは、この文法的な違和感に起因している可能性があります。
格助詞「して」の使い方とその意味
「して」という格助詞は、一般的には手段・方法を表すときに使われますが、この文では他の使い方がされている可能性もあります。例えば、動作や行動を実行する理由や目的を示す場合もあります。
このような場合、「しるよしして」という表現が指すのは、「しるよし(その土地に関する知識や縁)を持って、狩りに行った」という意味になるかもしれません。つまり、土地に対する「縁」や「知識」を手段の一部として捉えることで、自然に訳せるかもしれません。
「縁」という言葉とその意味
「縁」という言葉は、現代でも「運命」や「繋がり」を意味しますが、古典文学においては、土地や物事と人との関わりを表す言葉として重要な意味を持っていました。
したがって、「縁で狩に出かけた」という現代語訳は、ただの土地所有を示すだけでなく、土地に対する歴史的または精神的な結びつきをも暗示していると考えることができます。これにより、現代語訳がやや広義に解釈されている理由が見えてきます。
「しるよしして」の適切な訳し方
「しるよしして」という表現は、単に「縁があって」や「その土地に関する知識があって」といった意味を持つ可能性があり、直訳的に「その土地を所有している縁で」とするよりも、「その土地に縁を持って、狩に出かけた」といった訳が適切であると言えます。
これは、動作や行動が土地に対する結びつきに基づいて実行されるという解釈に基づいています。したがって、このような訳し方が、文の意味としては最も自然だと考えられるでしょう。
まとめ: 現代語訳の正しさについて
伊勢物語の「しるよしして狩に往にけり」という文を現代語訳する際には、「縁」を前に持ってくることが自然に感じられない場合がありますが、この文を解釈する際には、格助詞「して」の意味を手段や方法として捉えることで、文意がより明確になります。
したがって、「縁を持って狩に出かけた」というように解釈することが、現代語訳として適切だと考えられます。このように、古文の解釈においては、言葉の背景や文法的な使い方を丁寧に理解することが大切です。
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