「更級日記」における「異事なくこのことを申して」の「申して」について、謙譲語の解釈に関して疑問を持っている方も多いでしょう。特に、辞書では「願ふ」や「請ふ」の謙譲語として説明されているのに対し、先生からは「言ふ」の謙譲語と習ったということです。この解釈について詳しく説明します。
「申して」の謙譲語とは?
「申して」の活用は、動詞「言ふ」の謙譲語として用いられます。謙譲語の一つとして「申す」は、相手に対して自分の行動や言葉をへりくだって表現する方法です。これは、単に「言う」と言う行為をへりくだって表現するために用いられます。したがって、「異事なくこのことを申して」という表現は、謙譲語の使用例となり、丁寧な表現として使われています。
辞書における「願ふ」や「請ふ」の謙譲語としての説明
辞書において「願ふ」や「請ふ」の謙譲語としての記載がされているのは、これらの動詞もまた相手に対して自分の要求を控えめに伝える際に使われるためです。「願ふ」や「請ふ」は、相手にお願いする場合や依頼する場合に使われ、これもまた謙譲の一形態です。しかし、「申す」と「願ふ」や「請ふ」は、表現する内容や使われるシチュエーションが異なるため、混同することは避けましょう。
「申して」の活用とその文脈
「申して」という表現は、動詞「申す」の連用形「申して」から派生しています。このように、文中で「申して」が使われることで、自己の行動をへりくだった形で表現することができます。特に「更級日記」のような文学作品では、こうした謙譲語が日常的に使われ、敬意や慎みを表す重要な役割を果たしています。
結論:どちらが正しいのか?
結論として、「申して」が謙譲語として使われることは間違いありません。辞書に記載された「願ふ」や「請ふ」の謙譲語は、それぞれ異なる意味を持っており、「申す」とは使われる文脈が異なります。「異事なくこのことを申して」の文脈においては、「申す」が正しい表現です。
まとめ
「更級日記」の「申して」の部分に関する疑問について、謙譲語としての解釈を詳しく説明しました。「申す」が謙譲語として使われることは明確であり、辞書に記載された「願ふ」や「請ふ」とは異なる使用方法であることが理解できたでしょう。古典文学を読み解く際には、このように言葉の用法や背景を知ることが非常に大切です。
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