三好達治の『大阿蘇』の中で、「それ」という言葉が使われた部分に関する解釈について、深読みの可能性とともに考察してみましょう。特に、「それ」が指す対象は何か、また視点の動きと時間の経過に関する解釈について焦点を当てて解説します。
『大阿蘇』における「それ」の解釈
三好達治の『大阿蘇』では、最後の1行で「それ」という言葉が使われています。この「それ」は、「重つ苦しい噴煙」を指すと解釈するのが一般的です。しかし、質問者が指摘したように、視点が上に向かっていくことで、時間の経過ではなく視覚的な変化が強調されているのではないかという解釈も成り立ちます。
視点の動きと時間の経過
「やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる」という表現では、時間の経過が示唆される一方で、視点を上に向けることによって、噴煙と雨雲が一体となっていく様子を捉えた描写とも解釈できます。質問者の深読み通り、視覚的な動きが描かれている可能性も高いです。
「それ」の具体的な指し示す対象
質問者が提案するように、「それ」は単なる「噴煙」ではなく、「雨雲と噴煙によって生み出された光景」を指していると考えることができます。ここでは、視点の変化とともに、雨雲と噴煙が視覚的に溶け合っていくプロセスが描かれている可能性があります。
言葉の省略と文脈のつながり
「空いちめんの雨雲と」の部分が途中で切れている点についても触れられていますが、これは意図的な省略による表現であり、「空いちめんの雨雲とともにひとつになった光景」を描いているとも解釈できます。省略された部分を補うことで、視覚的な一体感を強調する効果があります。
まとめ:視覚的な表現と深読みの可能性
『大阿蘇』の「それ」の解釈には深い視覚的な意味合いが含まれており、単に噴煙を指すのではなく、雨雲と噴煙の融合した光景を捉えていると考えることができます。視点の動きによって、時間の経過ではなく、視覚的な変化が強調されているため、質問者の解釈は十分に有力なものと言えるでしょう。
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