明治時代の小説と文語体・口語体の混在について

文学、古典

明治時代の文学において、口語体と文語体がどのように使われていたのか、またそれがどのように変化していったのかについて、この記事では解説します。特に、島崎藤村や樋口一葉などの作家たちの作品がどのように文体を使い分けていたのか、そしてその背景について詳しく探ります。

口語体と文語体の違いとは?

日本語の文体には大きく分けて文語体と口語体があり、文語体は古典文学に多く見られ、口語体は日常会話に近い表現方法です。文語体は過去の文学や詩に多く見られ、口語体は近代に入ってから広まりました。

特に小説では、口語体の使用が進む中で、文語体との混在が見られました。これは、文学の近代化とともに、より一般的な言葉としての口語体が使われるようになったためです。

二葉亭四迷と口語体の導入

二葉亭四迷は、1879年に発表した「田舎教師」で日本初の口語体小説を発表し、これにより口語体小説の先駆けとなりました。この作品が話題となり、他の作家たちも口語体を取り入れた作品を発表するようになります。

しかし、口語体への完全な移行には時間がかかり、明治時代の作家たちの作品では、口語体と文語体が混在することがよくありました。これは、当時の作家が口語体と文語体の両方を使いこなしていたためです。

島崎藤村や樋口一葉の文体選択

島崎藤村や田山花袋は、口語体で小説を書いたことで知られています。彼らは、社会の変化に合わせてより現代的で読みやすい文体を選んだと言えます。特に藤村は、リアリズム文学の影響を受け、日常的な会話を反映させる口語体を好んで使用しました。

一方で、北村透谷や樋口一葉は、文語体を好んで使用し、彼らの作品には文語体が色濃く残っています。樋口一葉のように早世した作家もいますが、文語体を貫いた背景には、彼女の時代の文学の流れが関わっていると考えられます。

文語体と口語体の融合とその理由

明治時代の小説において、文語体と口語体の混在は一時的なものではなく、両方の文体が共存し、作家の個性や作品のテーマによって使い分けられていました。特に、近代化が進む中で、作家たちは文語体と口語体を状況に応じて使い分ける技法を習得していきました。

この時期の文学が口語体と文語体の両方を含んでいるのは、言語の変化と社会の進化を反映した結果だと言えるでしょう。文学が日常生活により密接に関連していく中で、作家たちはより多くの読者にアクセスするために口語体を取り入れました。

まとめ

明治時代の小説は、口語体と文語体が混在しているのが特徴です。二葉亭四迷が口語体を導入したことがきっかけとなり、多くの作家がこの文体を採用しましたが、同時に文語体を使用する作家もいました。作家たちの文体選択は、彼らが生きた時代の変化と文化的背景を反映した結果であり、文学の進化に大きな影響を与えました。

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