今昔物語集を読んでいると、行基菩薩に関する説話の冒頭部分が「□」のような記号で始まっていることに気づき、不思議に思う人は少なくありません。本記事では、この記号がなぜ使われているのかという点を手がかりに、今昔物語集の成立事情や本文の伝わり方を整理しながら、自然と疑問が解消されるように解説します。
今昔物語集は写本によって伝えられた作品
今昔物語集は平安時代末期に成立したとされる説話集で、現代まで一冊の完全な原本が残っているわけではありません。実際には、複数の写本を通して内容が伝えられています。
そのため、写本ごとに欠落や異同があり、特定の部分が読めなかったり、失われていたりするケースが存在します。
「□」は本文欠落を示す編集上の記号
冒頭に置かれている「□」は、もともとの本文が欠けている、もしくは判読不能であることを示すために、後世の編集者や研究者が補った記号です。
つまり、物語の最初に本来は文章が存在していたものの、写本の段階で失われ、その空白を示すために「□」が使われているのです。
なぜ行基菩薩の話で目立つのか
行基菩薩は今昔物語集の中でも重要な人物であり、複数の説話に登場します。そのため、研究や教材として引用される機会が多く、欠落部分があることも注目されやすくなっています。
特に冒頭部分は物語の導入にあたるため、欠けていると読者の違和感につながりやすいのです。
教科書や現代語訳での扱いの違い
学校教材や現代語訳では、読みやすさを重視して欠落部分を省略したり、注釈で簡潔に説明したりする場合があります。
一方、原文に忠実な版や研究書では、本文の欠損を正確に示すため、「□」や「欠」といった記号がそのまま残されています。
古典作品を読むときの大切な視点
このような記号は、作品の不完全さを示すものではなく、長い年月を経て伝えられてきた証でもあります。
欠落があること自体が、写本文化や古典文学の特徴を理解する手がかりになると言えるでしょう。
まとめ
今昔物語集の行基菩薩説話の冒頭にある「□」は、本文が欠けていることを示す編集上の記号です。これは写本によって伝えられてきた古典作品ならではの事情によるものであり、作品の背景や伝承の過程を知る重要なヒントでもあります。こうした点に注目すると、古典文学をより立体的に楽しめるようになるでしょう。


コメント