万葉集に収められている持統天皇の歌「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香久山」について、「夏来るらし」の「らし」の解釈と、持統天皇がこの歌に込めた気持ちについて詳しく解説します。
「夏来るらし」の「らし」の意味
この歌の「夏来るらし」という部分で使われている「らし」は、現代語でよく使われる「らしい」とは少し異なります。古語の「らし」は推定や推量を表す助動詞であり、持統天皇が春の後に訪れる夏を予感して、その時期を強く感じていることを示しています。つまり、この「らし」は「〜のようだ」や「〜の兆しがある」という意味合いが込められています。
「夏来るらし」の「らし」は、春が過ぎて夏が近づいていることを自然の変化として感覚的に捉えていることを表現しています。つまり、持統天皇は夏の訪れを感じていたのでしょう。
歌の背景と持統天皇の気持ち
この歌は、持統天皇が自然の移り変わりに思いを馳せながら詠んだものであると考えられています。「春過ぎて」という言葉で春の終わりを感じ、「夏来るらし」と夏の訪れを予感しつつ、白栲(しろたえ)の衣を干しているという情景が描かれています。
持統天皇は、自然の変化に敏感であり、またその変化を日常生活の一部として受け入れています。この歌には、季節の移り変わりに対する穏やかな感慨と、それに伴う心の動きが込められていると解釈できます。
持統天皇の歌に込めた自然との調和
持統天皇が詠んだこの歌からは、季節の変化と共に生きる感受性が感じられます。「白栲の衣干したり」という部分で、衣を干す行為が季節の変わり目に対する自然な反応であることを示しており、天皇としての立場を超えた、人間としての素直な気持ちが現れています。
持統天皇は自然のサイクルを重んじ、その中で生きることの大切さを感じていたと考えられます。この歌を通じて、彼女は自然との調和を象徴的に表現しているとも言えるでしょう。
まとめ:持統天皇の歌に込めた思い
「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香久山」の歌は、持統天皇の自然への感受性と、季節の移り変わりに対する思いを感じさせます。「夏来るらし」の「らし」は、自然の変化を予感し、それを詠んだものです。持統天皇が自然との調和を大切にし、季節の流れを静かに受け入れながら、日々の生活を送っていたことがこの歌から伺えます。
この歌は、ただの季節感の表現ではなく、持統天皇の深い内面を反映した作品であり、万葉集における貴重な詩的な遺産となっています。
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