万葉集に収められている柿本人麻呂の句「東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」は、自然と人間の感情が交錯した美しい詩です。この句を理解するには、その形式と表現技法を詳しく見ることが重要です。この記事では、まずこの句がどのような形式で詠まれているのか、そして使用されている表現技法について解説します。
1. 句の形式:五七調・七五調の違い
この句「東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」の形式についてですが、実際には「五七調」でも「七五調」でもなく、特に五七五調が主体となった構造が見られます。具体的には、五音の部分(「東の」)から始まり、七音の部分(「野に炎の」)に続き、また五音の部分(「立つ見えて」)が続きます。
したがって、この句は五七五調に近い形式で詠まれています。万葉集の歌詞は、五七調や七五調といった日本の伝統的な音律を大切にしていますが、厳密な形にはこだわらず、詩情を優先しています。
2. 表現技法:掛詞と対句の使用
この句に使われている表現技法を考察すると、まず「炎の立つ見えて」と「月傾きぬ」の部分に掛詞(かけことば)と対句(ついく)の技法が見受けられます。「炎」と「月」という二つの異なるイメージが対比的に使われ、暗い夜に向かって月が傾く様子と、明るい炎の立ち上る景色を対比させています。
掛詞は言葉の持つ多重的な意味や響きで感情を引き出す技法で、ここでは「炎」と「月」がそれぞれの自然の現象を表しつつ、視覚的・感情的な影響を与えています。
3. 句の情景と感情
この句が描く情景は、東の空に炎のような光が立ち上り、その光を背にして月が沈みつつある風景です。これにより、時間の流れ、自然の移ろい、そしてその中で感じる人間の孤独や静けさを強調しています。
柿本人麻呂は、この自然の美しさとともに、そこに感じる切なさや感動を織り交ぜることで、読者に深い印象を与えています。月が傾く様子を見て、時間の移ろいを感じる心情が反映されており、この句はただの自然描写にとどまらず、情感豊かな詩となっています。
4. まとめ
「東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ」という柿本人麻呂の句は、五七五調に近い形式で詠まれており、掛詞と対句という表現技法が巧みに使用されています。この句に表れる情景と感情の交錯は、万葉集の魅力の一部であり、古代日本の自然観や人間の心情を美しく表現しています。


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