古文を学ぶ中で、似たような意味に感じられる「思さる」と「おぼえたまふ」という表現がありますが、実際にはそれぞれに微妙なニュアンスの違いがあります。今回は、これらの表現がどのように使い分けられるのか、また、訳し方にどんな違いがあるのかを詳しく解説します。
「思さる」とは?
「思さる」は、古文における「思う」の受け身形で、現代語に訳すと「思われる」「考えられる」といった意味になります。これは、ある感情や考えが他者の意志や影響で起こることを示す表現です。具体的には、誰かが何かを思うという感覚が、相手に向けられていることを示唆しています。
例えば、「思さる」という表現は、主語が自分ではなく、他の人によってその感情や考えが引き起こされる場合に使われます。したがって、これを現代語に訳すときには「〜と思われる」「〜と感じる」といった表現が適しています。
「おぼえたまふ」とは?
一方、「おぼえたまふ」は、動詞「おぼゆ」(思う)に尊敬の意味を加える「たまふ」をつけた形です。「おぼえたまふ」は、相手の思いや感じ方に対する敬意を表現するもので、現代語で言うところの「お思いになる」といった表現にあたります。
この表現は、単に「思う」だけでなく、相手の行動や考えに対して敬意を持って表現されるため、通常、目上の人に対して使われます。そのため、「おぼえたまふ」は、尊敬を込めた思いや感じ方を表現する際に用いられます。
「思さる」と「おぼえたまふ」の違い
「思さる」と「おぼえたまふ」の大きな違いは、主に「敬意」の有無にあります。前者は、他人の思いや感じ方に対して受け身の立場で表現するのに対し、後者は相手に対して敬意を表している点が特徴です。
「思さる」が自分ではない他者の感情や考えを受けて表現されるのに対して、「おぼえたまふ」は、その思いや感情に対する敬意を含んだ表現であり、より高い敬意を持ってその考えを述べる時に使われます。
訳し方の違い
「思さる」を訳す場合は、一般的に「〜と思われる」や「〜と考えられる」という形で訳されます。これは、他者の思いや感情がそのまま反映された形です。
「おぼえたまふ」を訳す場合は、「お思いになる」や「お考えになる」という敬意を込めた表現になります。このため、訳し方には相手への尊敬を表現する必要があります。
まとめ
「思さる」と「おぼえたまふ」の違いは、主に「敬意」の有無と、それぞれが使われる文脈にあります。「思さる」は他者の思いや感情を受け身的に表現するのに対し、「おぼえたまふ」は相手の思いに対して敬意を込めた表現です。古文を正確に理解するためには、これらの微妙な違いをしっかり把握し、文脈に応じた適切な訳し方を行うことが大切です。


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