夏目漱石『こころ』における「私」のエゴイズムの表れについて

文学、古典

夏目漱石の小説『こころ』に登場する「私」の行動には、エゴイズム(利己主義)というテーマが深く関わっています。特にKの遺書が見つかった後の「私はわざとそれをみんなの目につくように、元の通りに置きました」という行動には、自己中心的な面が現れています。本記事では、この行動がどのようにエゴイズムを表しているのかについて考察します。

『こころ』における「私」のエゴイズム

『こころ』の「私」は、Kの死後、その遺書を見つけた際に、意図的に遺書を元の位置に戻したと語ります。この行動は、他人の感情や状況を無視した自己中心的な決断と捉えることができます。彼は、遺書をそのまま残すことで、Kの死を誰かに見せる必要があったわけではなく、むしろその行動を通じて「自分の立場」を強調しているように見えます。

「私」の行動には、他者に対する配慮が欠けており、自己の欲求や関心を優先している点がエゴイズムの典型的な表れと言えるでしょう。

エゴイズムと自己中心的な行動の違い

質問にあった「エゴイズム(利己主義)」と「自己中心的」という言葉の違いについてですが、エゴイズムは自己の利益を優先する思想や態度を指し、自己中心的は自分の視点から物事を考える行動に焦点を当てています。エゴイズムは広く哲学的な概念として用いられるのに対し、自己中心的は日常的な行動様式を指します。

「私」の行動は、単に自己中心的なものに見えるかもしれませんが、その背後にはエゴイズム、すなわち自分の視点を最優先にした行動があるため、「エゴイズム」と答えることが適切です。自己中心的とは若干異なり、エゴイズムは一貫した哲学的・倫理的態度として表れます。

『こころ』における「私」の心理状態

「私」の心理状態を理解するためには、彼がKとの関係や死後の感情にどれほど囚われていたのかを考える必要があります。「私」の行動は、Kの死によって引き起こされた罪悪感や自己憐憫の感情が影響していると考えられます。そのため、エゴイズムが表れる場面では、他人の苦しみを感じる余裕がなく、自分の視点や立場を最優先にしてしまうのです。

このような自己中心的な行動は、彼が自分自身を保つための防衛機制としても理解できますが、結果として他人に対して無関心または冷淡に見えることになります。

まとめ

『こころ』における「私」の行動は、単に自己中心的というだけでなく、深いエゴイズムが表れた結果だと言えます。彼は自分の立場を優先し、Kの遺書を他人の目に触れる場所に置くことで、自身の心理的な問題に対処しようとしたのです。この行動は、自己中心的という言葉以上に、エゴイズムという広範な心理的態度に基づいていることを理解することが重要です。

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