紫式部の日記に登場する「わざと置き重ねし人も侍らずなりにし後、手触るる人もことになし」の「なり」の品詞について考察します。古典文学の理解において、品詞の特定は重要なポイントです。この記事では、この文中の「なり」の意味と品詞について解説します。
「なり」の品詞と意味
「なり」という言葉は、古典文学において非常に多く使用される助動詞であり、基本的に存在や状態を示す働きを持っています。この「なり」は、名詞や形容動詞の語尾につくことで、「である」「であった」「だ」「だった」などの意味を表します。
文中の「なり」は、過去の出来事や状態を述べるときに使われるものであり、主に「断定の助動詞」として働いています。この場合、名詞的な意味を強調し、文章の背景となる事実や状態を述べる役割を果たします。
文脈における「なり」の解釈
紫式部の日記では、この「なり」が「なりにし後」のように使われています。これは、ある状態が過ぎ去った後の状況を述べるために使われており、「なり」によってその状態が過去の出来事として位置づけられています。
この「なり」の使い方は、出来事や状態を強調することで、読者にその重要性を伝える目的があります。「なり」を使うことによって、過去に起こった出来事や変化の断定がなされ、文章の流れが形成されます。
「なり」の助動詞としての使い方の例
古典文学では「なり」は、存在を表現するために使われることがよくあります。例えば、「花なり」「人なり」のように、名詞の後に続けてその存在や状態を示す使い方が一般的です。この「なり」の使用法は、日記や物語の中でよく見られ、人物や事物の存在を強調する際に使われます。
また、「なり」には、名詞や形容動詞が述べられた後に使われ、その語が断定的に述べられる役割を果たします。文中での意味合いが過去の出来事を述べる際に用いられることが多いことから、歴史的な出来事や心情を表現するために欠かせない存在となります。
「わざと置き重ねし人も侍らずなりにし後」の解釈
「わざと置き重ねし人も侍らずなりにし後」の部分では、「なりにし後」が過去の出来事としてその後の状況を示しています。この使い方によって、過去に起こった出来事が述べられ、その影響を受けた現在の状況が読者に伝わる形になっています。
「なりにし後」の「なり」が、出来事の結果としての「過去の状態」を強調しているため、この部分では過去から現在に至るまでの時間の流れと、その間に生じた変化に焦点を当てています。
まとめ
紫式部日記に登場する「なり」の品詞は、助動詞としての「断定」の役割を果たし、過去の出来事や状態を表現する際に使われます。特に、「わざと置き重ねし人も侍らずなりにし後」の「なり」においては、出来事が過去であることを強調し、後の状況に影響を与えていることを示しています。古典文学におけるこのような文法を理解することは、文学作品を深く読むために非常に重要です。


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