新葉和歌集の現代語訳:後醍醐天皇を悼んだ新待賢門院の歌

文学、古典

新葉和歌集に収められた、後醍醐天皇の死を悼んで新待賢門院(阿野廉子)が詠んだ2首の和歌。これらの歌の現代語訳と背景について解説します。歌詞に込められた意味を現代の言葉で読み解きましょう。

和歌の背景:後醍醐天皇の死を悼んで

新待賢門院が後醍醐天皇の死を悼んだ2首は、天皇の死後の年の春に詠まれました。この歌は、天皇の死という深い悲しみに対する彼女の思いを表現したもので、皇室の内情やその時代背景が反映されています。

後醍醐天皇が隠れさせ給った後、次の年の春に、新待賢門院は桜を見ながら歌を詠んだとされています。彼女の心情がどのように歌に表れているのかを見ていきましょう。

1首目の現代語訳

「時しらぬなげきのもとにいかにしてかはらぬ色に花の咲らむ」

現代語訳:「時の無情に流され、どうして色が変わらない花が咲くのでしょうか」

この和歌は、後醍醐天皇の死による悲しみが時の流れによって変わらないことを嘆いています。花の色が変わらずに咲くように、悲しみが続くことを表現しており、時の流れの無情さを感じさせます。

2首目の現代語訳

「みよし野は見しにもあらず荒にけりあだなる花は猶のこれども」

現代語訳:「吉野の土地は以前のように美しくはなく荒れてしまったが、無駄に咲いている花は依然として変わらない」

この歌では、吉野の土地が荒れ果てたことを悔い、無駄に咲いている花を目にしてなお、変わらないものが存在することに対する哀しみを表現しています。彼女の心の中で、天皇の死後の荒れた世界と変わらない自然の美しさが交錯していることがうかがえます。

まとめ

新待賢門院が詠んだ後醍醐天皇を悼む2首の和歌には、深い哀しみと時の無常を感じることができます。現代語訳を通して、彼女の悲しみがどのように歌に表現されているかが理解できたのではないでしょうか。日本の和歌の魅力は、時代を超えて今もなお心に響きます。

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