ジョージ・バークリー(George Berkeley)は、18世紀の哲学者で、観念論の代表的な提唱者として知られています。彼の有名な命題「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi)」は、物事の存在が知覚によって確認されるという考え方を示しています。しかし、彼の理論には批判もあり、近代哲学の中で否定的に受け取られることもありました。この記事では、バークリーの観念論がなぜ否定されたのか、その理由と背景について解説します。
バークリーの観念論とは?
バークリーの観念論は、物理的な世界の存在を「知覚すること」によって成り立つという考え方です。彼は、物体は物理的に存在しているわけではなく、我々の知覚の中でのみ存在するという立場を取ります。これにより、「物体の存在は知覚されることによってのみ実在する」という命題を提唱しました。バークリーは「存在するとは知覚されることである(Esse est percipi)」と述べ、このアイデアを展開しました。
バークリーによると、私たちが知覚する物体や現象はすべて、神の意志によって知覚され、存在していると考えられました。彼は、物質的な世界が実際には存在せず、ただ知覚の中で作られたものであると主張しました。
観念論に対する批判
バークリーの観念論に対する最も大きな批判は、物体が物理的に存在しないという考え方が現実世界と矛盾するという点です。物理的な世界における物体が人々の知覚に依存しているという発想は、直感的に理解しづらいものであり、多くの哲学者にとって受け入れがたいものでした。
また、バークリーは物体の存在を神による知覚に依存させましたが、神の存在を前提とする必要があり、これは信仰的な側面に頼っているため、無神論的な哲学者や実証主義者には批判されました。神がすべての知覚を保証するという考え方は、近代科学の発展においては受け入れがたいものであり、物理学的な観点からは実証できないとされました。
バークリーの観念論が否定された理由
バークリーの理論は、近代哲学において否定された理由の一つは、物理的な世界を無視し、知覚に依存するという点です。物質が実際に存在しないとする観念論の立場は、物理学の進展とともに疑問視されました。例えば、アイザック・ニュートンの力学に基づいた物理法則が証明されるにつれて、物体の存在は知覚とは無関係に物理的に存在するという見解が一般的となり、バークリーの主張は時代遅れとなりました。
また、観念論は、個々の知覚が絶対的であるとする一方で、実際の世界における客観的な現象の説明ができないため、哲学的に実用的ではないとされました。現代の哲学や科学では、物質世界の客観的存在が前提となっているため、バークリーの観念論は批判を受け、広く受け入れられなくなりました。
まとめ
バークリーの観念論「存在するとは知覚されることである」は、物理的な物体の実在を否定し、知覚によって物事が存在するという考え方を提示しました。しかし、この理論は物理学や科学の発展とともに否定され、物質世界の客観的存在が重要視されるようになりました。バークリーの観念論は、哲学の歴史の中で独特な位置を占めていますが、現代の哲学や科学においては批判的に受け取られることが多いです。


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