聖マリア書院の歴史と発展: 1900年から1931年までの変遷

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この記事では、聖マリア書院(St. Mary’s School)の歴史的な背景と発展について解説します。特に、1890年代から1930年代の間における学校の進化、特にその名の変遷や校舎の移転、そして学生の生活環境について取り上げます。

1. 1883年、宋庆龄の母親の教育歴

1883年、宋庆龄の母親である倪桂珍は聖マリア書院に入学し、そこで学びました。彼女はピアノ、英語、数学に優れ、また西洋思想に影響を受けていたため、個性の自由を追求しました。倪桂珍は、足を縛る伝統的な習慣を拒否し、3年で卒業後、わずか17歳で同校に留まり、教師として教鞭を執ることとなりました。

2. 1900年の変更と最初の卒業生

1900年、聖マリア書院はその学費条件を変更し、無料の教育から月謝制に移行しました。その際、毎月5角の学費が必要となりました。同年、聖マリア書院は初めて卒業式を行い、最初の卒業生は朱静贞一人でした。

3. 1903年から1914年までの成長と校舎移転

1903年にはピアノ科が開設され、1908年には二年制の教師養成課程と図書館が設立されました。1914年には学生数が増加し、元の校舎が手狭になったため、白利南路(現在の長宁路)に60余亩の土地を購入し、新しい校舎の建設が始まりました。この地は後に長宁来福士の場所となります。

4. 1923年、学校の移転と新たな校名

1923年、聖マリア書院は新しい校舎に移転し、名前も「聖マリア女子中学(St. Mary’s School)」に変更されました。学校は伝統的かつ保守的な校風を持ち、厳格な校則が存在しました。すべての学生は寄宿制で、月に一度帰宅するのみでした。

5. 1931年、正式に登録された裨文女子中学

1931年、聖マリア女子中学は上海市教育局に正式に登録され、正式に「裨文女子中学」と名乗るようになりました。この年から学校は更に発展し、今後の教育活動に新たな一歩を踏み出しました。

6. まとめ

聖マリア書院は、1900年から1931年の間に重要な変化を経て、上海の教育界において確固たる地位を築きました。学校の移転、新しい学科の設立、そして校名の変更など、これらの歴史的な出来事は、学校がいかにして発展していったかを物語っています。

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