百人一首の13番に登場する「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となる」の掛詞について、その意味や解釈に関する疑問がよくあります。特に「こい」と「みな」のどちらが掛けられているのか、という問題に関して詳しく解説します。
「筑波嶺の峰より落つるみなの川」の意味
この歌は、平安時代の歌人、凡河内躬恒によって詠まれたもので、自然の美しさと恋愛感情を重ね合わせたものです。「筑波嶺の峰より落つるみなの川」という部分は、筑波山の頂から流れ落ちる川の様子を描いており、そこに人々の「恋」がどのように絡むかが表現されています。
「みなの川」は、川そのものが「恋」を象徴しており、流れる水のように恋愛の感情が次第に積み重なり、最終的には「淵」となってしまうという感情の変化を示しています。
掛詞の「こい」と「みな」の違い
この歌の掛詞として「こい」と「みな」が使われていますが、どちらが適切かという点については解釈に差異があります。一般的に、「こい」という言葉は「恋」と掛けられることが多く、歌の意味としても最も自然です。恋愛感情が積もりに積もって淵のような深い感情になるという表現が、自然に感じられます。
一方で、「みな」は「皆」とも掛けられ、流れる水のように全体を意味することがあります。しかし、この歌の文脈では「こい」の方が感情の積み重ねを強調するため、より適切な掛詞として広く認識されています。
歌の背景と掛詞の使われ方
「筑波嶺の峰より落つるみなの川」の歌は、自然の美しさを描くとともに、恋愛の感情がどのように積もり、深くなっていくのかを示唆しています。平安時代の歌人たちは、こうした自然の現象に人間の感情を重ね合わせて表現することがよくありました。
「こい」と「みな」を掛けることにより、川の流れとともに心の中の恋愛感情が広がり、最終的には「淵」となってしまうという強い感情の深まりを表しています。
まとめ
百人一首の13番の歌における掛詞「こい」と「みな」について、一般的には「こい」が適切とされています。「みな」も一つの解釈として可能ですが、この歌の文脈においては「恋」の感情を強調した「こい」が最も自然です。このような掛詞を理解することで、歌の深い意味や当時の文化的背景をよりよく理解することができます。


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