「人格形成責任論」とは、人間の性格や行動がその人自身の責任であるという考え方です。しかし、これには論理的な矛盾があるという指摘がされています。この問題を掘り下げ、自由意志と責任についての視点を深めてみましょう。
1. 人格形成責任論の矛盾とは?
人格形成責任論によれば、現在の性格は過去の選択の結果であり、そのため行動には責任があるとされます。しかし、この考え方には大きな矛盾があります。つまり、性格を形成した過去の選択もまた、その時の環境や状況に影響を受けたものであり、最終的には「生まれたばかりの赤ちゃん」までさかのぼるという問題です。
このように、自由意志を前提にした責任論は、最終的には「無限背進」の罠に陥り、論理的に成立しなくなります。
2. 人格形成責任論の破綻とその理由
人格形成責任論が「詭弁」と言われる理由は、論理が成立しない点にあります。自分の性格を作る責任を過去の自分に求めると、その過去の自分の責任はさらに遡って、最終的には受精卵の段階までさかのぼらざるを得ません。こうした無限の責任の連鎖は現実的ではなく、理論的にも破綻しています。
また、この論理を使って「お前の人格だから責任を取れ」と言うことは、社会を維持するための無理やりな理屈であり、理論的な正しさに欠けています。
3. 責任の「虚構」としての役割
「責任」とは、実は人間の内面的な特性ではなく、社会が構築した「ルール」に過ぎないという考え方もあります。犯罪を裁いたり、努力を褒めたりするために社会は「責任」という概念を共有しています。
責任という概念は、人間が自由意志を持つかどうかとは関係なく、社会の秩序を保つために必要不可欠な「虚構」に過ぎないのです。
4. 自由意志と「心地よい錯覚」
自由意志を持っていると感じることが私たちの心地よさの一部となっています。しかし、私たちが選択をしているように感じるその基準も、実は環境から与えられたものに過ぎないとしたら?小坂井敏晶氏の議論は、私たちが信じる自由意志の感覚がいかに脆弱で、外的要因に支配されているかを鋭く示唆しています。
このように考えると、自由という感覚がどれほど「錯覚」であるかを痛感させられます。
まとめ:自由意志と責任の関係
人格形成責任論は一見理にかなっているように思えるものの、その背後には深い論理的矛盾が潜んでいます。責任という概念自体が社会的なフィクションであり、自由意志という感覚も実は外部の影響を受けているに過ぎないことを理解することが重要です。
結局、「自由」と「責任」という概念は、社会が成立するために必要な枠組みとして存在し、その虚構を共有することで私たちの生活が成り立っています。


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