『徒然草』の中で「花は盛りに、椎柴・白樺などのぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ」と表現されています。この部分の「ぬれたるやうなる」の品詞分解と訳について詳しく見ていきます。
「ぬれたるやうなる」の品詞分解
この表現を品詞ごとに分解すると以下のようになります。
- ぬれたる: 動詞「ぬる」(濡れる)の連用形「ぬれ」に、完了を表す助動詞「たる」が付いています。「ぬれたる」は「ぬれる」という状態が完了している様子を示します。
- やうなる: 「やう」は名詞「様」の連用形で、「なる」は動詞「成る」の連体形です。ここでは「やうなる」で、「~のような」という比喩的な表現を意味します。
このように、「ぬれたるやうなる」は「濡れたような状態」を指し、物の様子や状態を描写する表現です。
「ぬれたるやうなる」の訳
「ぬれたるやうなる」の部分を現代日本語に訳すと、「濡れたような」や「しっとりとした様子」という意味になります。この表現は、葉の表面に水滴がついて光っている様子を、自然の美しさを強調するために使われています。
この表現によって、作者は風景の持つ細やかな美しさを、視覚的に繊細に描写しています。つまり、葉の上にきらめく水滴がまるで命の息吹のように感じられるのです。
徒然草の文学的背景
『徒然草』は、吉田兼好によって書かれた日本の中世文学の名作であり、日常の些細な出来事や感情を深く洞察した作品です。この作品の中では、自然や人間の心の微妙な動きが巧みに表現されています。
「ぬれたるやうなる」という表現も、その一部であり、日常の中の自然の美しさを見逃さずに捉える兼好の感受性が反映されています。
文学における比喩的表現
『徒然草』の中では、比喩的な表現が多く使われています。この「ぬれたるやうなる」という表現も、自然界の様子をただ述べるだけではなく、何かを象徴的に表す役割を果たしています。文学では、こうした比喩が読者に深い印象を与え、作品に奥行きを与えるための重要な手段となります。
例えば、「ぬれたるやうなる葉」は、自然の中での生命力や時間の流れを示唆していると解釈することもでき、単なる風景描写を超えて心の動きを引き出します。
まとめ
「ぬれたるやうなる」という表現は、動詞「ぬれる」の完了形「ぬれた」に、比喩的表現を導く「やうなる」を組み合わせたものです。この表現は、自然の中の微細な美を繊細に表現しており、徒然草の深い感受性を感じさせます。文学作品での比喩的表現の使い方は、自然や人間の心を豊かに描き出し、読者に強い印象を与える手法であることがわかります。


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