ベトナム中部に存在したチャンパー王国は、チャム人が建てた国家として東南アジア史で重要な位置を占めています。しかし、中国史料では「林邑」や「占城」といった複数の名称で呼ばれており、どちらを使えばよいのか混乱することも少なくありません。本記事では、中国名としての「林邑」と「占城」の違いと、文脈に応じた正しい使い分けについて解説します。
チャンパー王国とはどのような国家か
チャンパー王国は、2世紀頃から15世紀頃まで現在のベトナム中部沿岸に存在した国家で、主にチャム人によって形成されました。インド文化の影響が強く、ヒンドゥー教や仏教を受容し、独自の海洋交易国家として発展しました。
この王国は単一の中央集権国家というより、複数の都市国家が連合する形で存続しており、その時代ごとに中心地や国名の呼ばれ方が変化しています。
「林邑」とは何を指す名称か
「林邑(りんゆう)」は、中国の正史に最初に登場するチャンパー系国家の名称です。3世紀頃の史料に見られ、中国側が最初に認識したチャム系勢力を指します。
ただし、林邑はチャンパー王国全体を常に指す名称ではなく、主に初期段階の北部チャンパー、あるいはその王朝を指す限定的な呼称と理解されています。
「占城」とはどの時代の呼び名か
「占城(せんじょう)」は、時代が下ってから中国史料で用いられるようになった名称で、唐代以降に多く見られます。これはサンスクリット語や現地名に近い音を漢字で表したものとされています。
一般に「占城」は、林邑を含む後継国家も含めたチャンパー王国全体、またはその中後期段階を指す用語として使われることが多いのが特徴です。
林邑と占城はどちらを使ってもよいのか
結論から言えば、どちらでも完全に間違いというわけではありませんが、時代や文脈を考慮した使い分けが重要です。初期のチャンパーを中国史料の表現に即して説明する場合は「林邑」、より広い時代や一般的説明では「占城」を用いる方が適切です。
例えば、歴史レポートや論文では「初期チャンパー王国(中国史料では林邑と称される)」のように併記すると、正確で誤解のない表現になります。
学習・研究での実践的な使い分け例
世界史の学習や一般的な解説記事では、「チャンパー王国(中国名:占城)」とまとめて説明されることが多く、入門レベルでは問題ありません。
一方、専門的に中国史料や時代区分を扱う場合には、林邑と占城を明確に区別することで、より精度の高い説明が可能になります。
まとめ
チャンパー王国の中国名として「林邑」と「占城」はどちらも正しいものですが、指す時代や範囲が異なります。林邑は主に初期段階、占城は中後期を含む広い概念として理解すると整理しやすくなります。文脈に応じて使い分けることが、歴史を正確に伝える上で重要です。


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