「十六夜日記」は平安時代の有名な文学作品で、そこで使われる言葉や文法に関する疑問が多くあります。特に、「〜とぞ思ひなりぬる」という表現の文法について質問が寄せられます。このフレーズは一見難解に思えますが、実際にはそれほど複雑ではなく、解釈するためのいくつかのポイントを押さえることで、理解が深まります。
「〜とぞ思ひなりぬる」の意味と文法
「〜とぞ思ひなりぬる」の「なりぬる」の部分に注目すると、「なり」は断定の助動詞、「ぬる」は過去の助動詞「ぬ」の連体形です。このため、このフレーズは「思う」と「なり」と「ぬる」が組み合わさり、過去の事実に対して断定的な意味合いを持つことが分かります。
「〜とぞ思ひなりぬる」の「ぞ」は、強調の助詞であり、この表現は「〜だと思った」といったニュアンスを強めます。したがって、このフレーズ全体としては、「私は〜だと思った」といった意味を含む表現になります。
「なりぬる」の役割とは?
「なりぬる」という言葉について詳しく解説します。「なり」は断定の助動詞であり、これは現代語で言う「〜だ」と同じ役割を果たします。一方で、「ぬる」は過去を示す助動詞「ぬ」の連体形で、過去に行った行為や出来事を強調します。
このように、「なりぬる」は、過去の経験や事実に対して「〜だと思った」という確信を持っていることを示す表現です。そのため、単なる思い込みや予測ではなく、過去の事実として強調された思考を表現しています。
翻訳のポイント:「と決心した」との違い
質問者が挙げた「と決心した」という訳についても触れてみましょう。確かに「〜とぞ思ひなりぬる」を直訳すると「〜だと思った」となるため、強い決意や思いを表現する訳として「と決心した」とすることも可能です。
ただし、「決心した」という言葉は現代日本語において使われる語感に近い表現であり、古語における「思ひなりぬる」では、強調された「思う」気持ちが重要であり、決意そのものを示すわけではありません。そのため、「決心した」という訳は、若干現代的な解釈を加えたものと言えるでしょう。
まとめ
「十六夜日記」の「〜とぞ思ひなりぬる」の文法解析を通して、この表現がどのような意味を持ち、どのように訳すべきかが明確になりました。このフレーズでは、過去の事実として強調された「思う」という思いを表現しており、「決心した」という訳も可能ですが、原文のニュアンスを大切にするためには、「〜だと思った」という訳が適切であることがわかります。


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