四国・九州でクマがほぼ絶滅した理由:猛獣なのになぜ?環境・人間活動・地理的要因から解説

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日本の四国・九州地域でかつて生息していたクマ──特にツキノワグマなどの熊類──が「ほぼ絶滅している」「残りが極めて少ない」と言われるのには、さまざまな環境と人間活動が関係しています。この記事では、なぜ猛獣であるクマが四国・九州で消えていったのか、その背景を整理します。

生息地の変化:森が縮小・分断された影響

クマが生きるためには、広く深い森林、豊富な餌(ドングリなど)、そして冬眠できる場所が必要です。ところが四国・九州では、明治以降から林業・伐採・人工林化によって自然林が大きく変化しました。([参照]https://www.pref.ishikawa.lg.jp/sizen/kuma/qa/qah201020.html)

例えば、九州では人工林やスギ・ヒノキの植林が進み、クマが好むブナやミズナラなどの広葉樹林が減少して餌場や冬眠穴が失われていったという指摘があります。([参照]https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/807515?page=2)

狩猟・駆除と人口圧力:人とクマの衝突が増加した

人里近くに生息していたクマは、農作物の荒らしや人身被害を理由に積極的に捕獲・駆除されてきました。九州では2012年に環境省が「野生のクマは事実上絶滅」と宣言しています。([参照]https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/807515?page=2)

また、島嶼や地域的に隔離された山域では、人口増加・集落の拡大によりクマの生息圏が狭められ、個体数維持が難しくなったという記録もあります。([参照]https://www.note.com/mrgreenpeach/n/nbaf8224a3d3b)

地理的・孤立的な条件:移入・補充が起きにくい環境

四国・九州の多くの山域は、本州から海や山脈で隔てられており、クマが他地域から移動して補充される可能性が低い環境でした。([参照]https://www.islandbearproject.org/howto/howto-03/howto-03-01/)

特に四国では「島熊(Island Bear)」と呼ばれるほど少数のツキノワグマ集団が残っており、かつては広く分布していたものの、現在は徳島‑高知県境の剣山系周辺など限定された地域に集約されています。([参照]https://www.islandbearproject.org/howto/howto-03/howto-03-01/)

生息数減少の連鎖と絶滅リスク

生息地の縮小・餌資源の減少・捕獲駆除によってクマの個体数が減ると、さらに繁殖が難しくなり近交弱勢や遺伝的な脆弱性が増します。これが絶滅への“加速スイッチ”となります。([参照]https://www.islandbearproject.org/howto/howto-03/howto-03-01/)

例えば四国のケースでは、生息頭数が16〜24頭程度と見積もられており、このような少数集団のままでは絶滅確率が高いと指摘されています。([参照]https://www.awaihikari.media/report/entry-145.html)

まとめ

猛獣とされるクマが四国・九州でほぼ絶滅した背景には、「生息地の破壊・分断」「狩猟・駆除」「地理的に隔絶された環境」「個体数減少の負の連鎖」という複数の要因が重なっていたことがわかります。クマが“猛獣”でありながら生息数を維持できなかったのは、自然環境と人間活動の影響を受けた結果と言えるでしょう。

現在、四国のツキノワグマは“絶滅寸前”とされるほど深刻な状況です。彼らを守り、共存を考えるためには、過去に起こった変化をしっかり学び、未来の森づくりや生息域保全に活かすことが重要です。

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