魯迅『故郷』を読み解く:〈私〉と閏土の心理・「希望」の意味を探る

文学、古典

中学3年生向けの国語教材として定番の魯迅『故郷』では、〈私〉と閏土の再会から別れに至る場面で、ふたりの「心」の変化や作品のテーマである「希望」のあり方が深く描かれています。本記事では、問いとして出されやすい〈「私」と閏土の状態」〉および〈「希望とは…」〉という箇所を、背景と解釈を交えて分かりやすく整理します。

「私」と閏土の状態――最後の船から終わりまでにおける〈心の関係〉

作品後半、〈私〉が船に乗って故郷を離れる直前から終わりまで、かつて親しい関係だった閏土との距離が明確になります。幼少期には兄弟のように心を通わせていた二人ですが、大人になった閏土は「旦那様!」と呼び、敬意ある立場に変わってしまいました(P113 L4)。[参照]

このことから、問い「〈私〉と閏土はどのような状態か」を10字以内で「心」を用いて答えるなら、例えば 心に壁を感じている心が離れてしまった などが妥当です。

作品末尾の「思うに希望とは…それが道になるのだ」に表れた〈私〉の考え〉

作品末尾の一文「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」[参照]

この考えを選択肢 ア~エ の中から言い換えると、最も近いのは ア:もともと希望というものはない。願いが現実に近づく過程こそが希望になるのだ です。なぜなら、「もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない」という語りから、希望を既存のものとして捉えていないからです。

なぜ〈心に壁〉と感じるのか?背景を読む

幼少期、「私」と閏土は平等な遊び仲間でしたが、時が経ち、生活・立場・環境が変化して「私」は出世する側、「閏土」は貧困にあえぐ農民となってしまいます。ヤンおばさんの言葉「なにしろ身分のあるお方は目が上を向いているからね……」などからも、二人の間に身分という〈壁〉ができてしまったことが示唆されます。[参照]

この変化のなかで、〈私〉は幼き日の鮮やかな記憶と現実のギャップに胸を痛め、「心に壁を感じている」と表現できるのです。

「希望=道」という比喩の意味と授業対策でのポイント

「地上に道はない」という否定から始まり、「歩く人が多くなれば、それが道になる」という展開は、希望を〈誰かがただ願うだけで得られるものではなく〉〈行動・共有・継続のなかで形作られるもの〉と捉えています。つまり、希望とは“存在しているものを発見する”のではなく、“人々の歩みによってつくられる道”なのです。

授業・テスト対策では、①希望≒既存のものではない ②過程・歩みが重要 ③共有・行動によって道・希望が生まれる という3点を押さえておくと理解が深まります。

まとめ

『故郷』で〈私〉と閏土が置かれた状況から、「心に壁を感じている」のような表現で双方の関係をとらえることができます。また、「希望とは…道になる」という一文からは、既存のものではなく、歩み・共有・行動のなかでつくられるという考え方が示されています。

このように、作品中の〈心・希望〉というテーマを意識して読み進めることで、設問への答えだけでなく、作品が伝えようとするメッセージにまで視野が広がります。ぜひ自分なりの言葉でも整理してみてください。

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