『源氏物語』末摘花の巻に登場する「いさ。見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」というフレーズについて、その意味と現代語訳の解釈に関する疑問を解決します。今回は、原文の中における願望の要素の存在や、「見るとしもなし」の品詞分解について詳しく説明します。
原文における願望の要素について
「いさ。見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」というフレーズの「見む」という部分に注目すると、動詞「見る」の未然形「見」に、意志を表す助動詞「む」が付いています。日本語の古語において、助動詞「む」は未来の意志や推量を表すため、ここでは「見るつもりだろうか」「見ようと思う」という意味合いが含まれています。
現代語訳で「見るとしも思わないからだろうか」という部分は、この「む」の意味を反映しています。つまり、「見るつもりではないからだろうか」という解釈が成り立ちます。この「む」の使用が願望的な要素を示すポイントとなっています。
「見るとしもなし」の品詞分解
「見るとしもなし」という部分の品詞分解を行うと、以下のようになります。
- 「見る」: 動詞(原形)
- 「と」: 接続助詞
- 「し」: 動詞「する」の未然形(ここでは「しも」の「し」として、助動詞的な使い方)
- 「も」: 助詞(強調や逆接を表す)
- 「なし」: 形容詞「なし」の連用形(否定の意味を持つ)
このように、「見るとしもなし」は「見ることもない」という意味になり、「見るつもりすらない」と解釈することができます。これは、源氏が「末摘花」を見ようともしないという態度を強調しています。
現代語訳とその解釈
現代語訳では、「さあどうだか(見たいとも思わないからだろうか)」や「見るつもりではないから、見ようとも思わない」という意味で訳されることが多いです。このように、原文での助動詞「む」の意志的な意味と、「見るとしもなし」の否定的なニュアンスを組み合わせることで、源氏の無関心や心の動きを表現しています。
源氏の態度は、末摘花への思いが薄れていることを示唆しており、彼の内心の変化が反映されています。物語の中で、源氏の感情の動きに焦点を当てることで、彼の人物像が一層深まります。
まとめ
『源氏物語』の「いさ。見むとしも思はねばにや、見るとしもなし」というフレーズは、源氏の感情の変化と彼の無関心を表現しています。ここで使われている「む」と「見るとしもなし」の品詞分解から、原文の意味を明確に理解することができ、源氏の人物像をより深く掘り下げることができます。
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