「大鏡」の古典文法:「べき」の意味と人称の理解

文学、古典

「大鏡」の文章中に登場する「べき」という表現について、そしてそれがなぜ「当然」を意味するのかという疑問について解説します。また、人称の判別方法についても触れていきます。

「べき」の意味と用法

「べき」という表現は、現代日本語ではあまり使われませんが、古典文学や古語においては頻繁に登場します。基本的に「べき」は、何かをすべき、または当然そうすべきだという意味を持ちます。このため、「母北の方忘れたまふべきにはあらねども」の「べき」は、「当然忘れたまふべきではない」という意味になり、遺言を忘れない方が良いという意味を伝えています。

「べき」が使われる理由と文脈

「べき」は、現代語における「べきだ」「するべきだ」といった助動詞と似た意味を持っています。そのため、特定の行動が理想的または期待されることを強調する役割を果たします。「母北の方忘れたまふべきにはあらねども」では、遺言を忘れることが当然のことではないという意味合いを強調しています。

人称の使い分け:どうして「母北の方」が三人称になるのか

質問者が指摘した通り、「母北の方」は三人称です。古典文学では、人物の呼び方として「北の方」や「母」など、関係者を指す言葉が使われます。ここで「母北の方」は、主語が自分自身でなく、他の人物(第三者)を指しているため、三人称として扱われます。

人称の理解を深めるためのポイント

古典文学における人称を理解するためには、次のポイントを意識すると良いでしょう:

  • 第一人称:自分を指す「我」「われ」「私」など。
  • 第二人称:相手を指す「お前」「あなた」「なんぢ」など。
  • 第三人称:他の人物や対象を指す「彼」「彼女」「北の方」など。

文脈や接続詞に注目して、誰が主語なのかを見極めることが重要です。

まとめ

「べき」という表現は、何かが当然であるべきという強調を意味します。古典文学での人称や文脈の理解を深めるためには、登場人物や会話の内容を丁寧に読み解くことが大切です。これを意識することで、古典のテキストがより理解しやすくなります。

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