六一六保暦間記の書き下し文と現代語訳について

文学、古典

「六一六保暦間記」における古文の書き下し文と現代語訳を通じて、平安時代の日本社会と政治の一端を垣間見ることができます。本記事では、該当文を現代語に訳し、内容を分かりやすく解説します。

1. 文章の内容の背景

「六一六保暦間記」は、承久の乱前後の出来事を記した重要な史料の一つです。ここでは、政治的な争いと権力闘争の様子が描かれています。特に、北両人(人物)の間で繰り広げられた論争と、それを取り巻く高資の対応が中心的なテーマです。

2. 書き下し文

以下が書き下し文です。

元亭二年ノ春、奥州二安藤五郎・同又太郎ト云者アリ(中略、史料五五二参照)。北両人相論スル事アリ、高資数々賄賂ヲ両方ヨリ取リテ、両方へ下知フナス、彼等カ方人ノ夷等合戦ヲス、是二依テ、関東ヨリ打手ヲ度々下ス、多ノ軍勢亡ヒケレトモ、年ヲ累テ事行ス、承久三年ヨリ以来、関東ノ下知スル事、少モ背事ナカロキ、財者マテモ細教書ナトヲ帯スルコトヲ軽シムル事、偉シニ高資政道不道二行クニョリ、武威モ軽ク成、世モ乱レソメテ人モ背キ始シ基ナリケリ

3. 現代語訳

現代語訳は以下の通りです。

元亭二年の春、奥州の二安藤五郎とその兄、又太郎という者がいた。北方の両者の間で論争があったが、高資は何度も賄賂を両方から受け取り、その指示を出していた。その結果、両者の間で戦争が起こり、関東から何度も手が打たれた。多くの軍が失敗に終わったが、それでも年を重ねて事は続いた。承久三年から続く関東からの指示には一切の背きはなかった。財力のある者でも、細かい教書を携帯することは軽視された。高資の政策が不道徳であったため、武力は次第に低下し、社会は乱れ始め、また人々は反発し始めたということがこの時期の特徴であった。

4. 内容の解説と分析

この記録は、権力闘争の中で賄賂や策略がいかにして政治に影響を与えるかを示しています。高資という人物は、両者から賄賂を受け取り、権力を維持しようとしたが、その結果として政治が乱れ、武力が衰退する原因となったことが記されています。さらに、財力を持つ者が細かい教書を軽視されるなど、時代背景も示唆されています。

5. まとめ

「六一六保暦間記」は、政治的な権力闘争とその影響を理解する上で重要な史料であり、賄賂や策略が引き起こす社会的な混乱を描いています。この文章を通じて、当時の社会や政治のあり方を理解する手助けとなるでしょう。

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