古文の中には現代語訳では理解しづらい言葉が多くあります。特に「とどめる」という言葉は、文脈によって異なる解釈を必要とします。この記事では、『源氏物語』を例にとり、なぜ「とどめる」が「治す」という意味になるのかを解説します。
「とどめる」の基本的な意味
「とどめる」という言葉は、現代語では「止める」と解釈されることが多いですが、古文ではその意味が異なる場合があります。古典文学における「とどめる」は、単に「止める」だけではなく、何かを完成させる、終わらせるというニュアンスも含まれています。特に病気に関連して使われる場合、「病気を治す」という意味を持つことがあるのです。
このように、古文の「とどめる」は、現代語の意味と異なり、病気を止める、治療するという積極的な意味を含んでいます。
『源氏物語』における「とどめる」の使われ方
『源氏物語』の中で「とどめる」という言葉は、病気を治すために祈祷や治療が行われるシーンで使われています。特に「去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまたはべりき」という部分で、病気を治すことを意味しています。
ここで「まじなひわづらひし」という表現は、「祈りを捧げて苦しんでいる」という意味ですが、病気が流行し、人々が祈っても効果がなかったことを示しています。その後、「とどめる」という言葉が、実際に病気を治すことを示唆しており、神聖な修行僧がその役割を果たしていることが描かれています。
「わづらふ」の意味と文脈
「わづらふ」という言葉は、「心身の苦痛」を表す意味もありますが、ここでは「難渋する」「苦しむ」「病気になる」という意味で使われています。つまり、病気になったり、病気に苦しむ様子を示すため、「わづらふ」が使われているのです。
そのため、「とどめる」を「治す」という意味で解釈するのは、文脈的に非常に適切であり、現代語訳においてもそのように理解されることが多いです。
現代語訳の注意点
現代語訳をする際、古文の言葉には現代語にない意味やニュアンスが込められていることを理解することが大切です。「とどめる」や「わづらふ」など、古語の解釈は文脈に依存することが多く、直訳では意味が伝わらないこともあります。
そのため、辞書だけに頼らず、文全体を通して意味を把握し、適切な現代語に訳すことが必要です。
まとめ
「とどめる」は、現代語では「止める」と理解されがちですが、古文においては「病気を治す」という積極的な意味を持つことがあります。『源氏物語』における使用例を通じて、古語のニュアンスを理解し、現代語に正確に訳すことの重要性を確認できました。古文の解釈には文脈の理解が不可欠であり、辞書だけでは解決できない場合も多いことを知っておきましょう。
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