ハイデッガー『存在と時間』第2章第12節における「Dasein ist ferner Seiendes, das je ich selber bin」の解釈

言葉、語学

ハイデッガーの『存在と時間』第2章第12節に登場する「Dasein ist ferner Seiendes, das je ich selber bin」という文は、初学者にとっては理解が難しい部分かもしれません。特に、この「ich」という言葉が示す意味について疑問を抱く方も多いでしょう。ここでは、この文の解釈と、その背後にある哲学的な意図について解説します。

ハイデッガーの「Dasein」とは?

ハイデッガーの哲学において、「Dasein」という概念は重要な役割を果たします。「Dasein」とは、単に「存在」という意味ではなく、人間存在を指し、存在すること自体がその特徴であるとされています。すなわち、「Dasein」は世界に存在する私たち一人一人を指す言葉であり、私たちの生き方や存在のあり方がこの概念によって問われるのです。

この「Dasein」が、単なる「物質的な存在」としてではなく、「世界に開かれた存在」であるという点がハイデッガーの哲学の核です。「Dasein」は自分の存在を問うことによって、他の存在や世界との関係性を理解しようとします。

「ich」についての解釈

質問の文中で登場する「ich」とは、直訳すれば「私」ですが、ここで使われている「ich」はハイデッガー自身を指すのではなく、一般的な意味での「私」ではなく、あくまで「Dasein」としての存在に焦点を当てたものです。つまり、「ich」という言葉は、存在するという経験を通して、自分という存在がいかに世界と関わっているかを示すものです。

「Dasein ist ferner Seiendes, das je ich selber bin」という文では、「Dasein」が「自分自身が自己として存在している」という動的な状態を示しており、これをハイデッガーは強調しています。したがって、ここでの「ich」はハイデッガーの哲学的な概念の一部であり、個人的な指摘ではありません。

「Dasein ist ferner Seiendes, das je es selber ist」とは異なるのか?

質問者の提案のように、「Dasein ist ferner Seiendes, das je es selber ist」とすると、よりスムーズに理解できるかもしれませんが、ハイデッガーの意図としては「ich」を使用することで、「私」という個人の存在が世界との関わりを通じてどのように自己理解に結びついていくのかを示唆しています。この使い方には、単なる「物」としての存在を超えた哲学的な意味合いが込められています。

もし「es」や「es selber」を使った場合、確かに一見すると簡単に理解できるかもしれませんが、「ich」を使うことで、自己と他者、そして世界との関係がより明確に問われることになります。この点が、ハイデッガーの意図した深い哲学的探求であり、単純な言葉の使い分け以上の意味を持っています。

ハイデッガーの文脈における「自己」

ハイデッガーにおける「自己」という概念は、単なる個人的な「私」ではなく、自己が世界と関わりながら自らを認識し、理解していく過程を意味します。彼の哲学においては、自己の存在は孤立したものではなく、他者や世界との関係の中で成り立っているのです。

「Dasein ist ferner Seiendes, das je ich selber bin」という表現には、このような自己と世界との関係性が強調されており、ハイデッガーが哲学的に追求したいテーマが表れています。自己理解や存在の問いを深めるために、「ich」の使用が不可欠だったというわけです。

まとめ

ハイデッガーの「Dasein ist ferner Seiendes, das je ich selber bin」という文における「ich」は、彼自身を指しているわけではなく、哲学的な存在の問いを示しています。この「ich」は、単なる個人の「私」ではなく、世界と関わりながら自己を認識していく「Dasein」の一部としての存在です。そのため、この文における「ich」は、ハイデッガーの哲学の中心的な概念を理解する上で重要な役割を果たしています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました