「荻の葉にあらぬ身なれば音もせで見るをも見ぬと思ふなるべし」という和歌における「見ぬ」の部分で、「ぬ」が完了の助動詞だと思った方も多いかもしれません。しかし、解説では打ち消しの助動詞として説明されている場合があります。この記事では、「ぬ」の役割について詳しく解説し、その理由を明らかにします。
1. 和歌の中の「見ぬ」の意味
この和歌は、心情を表現したものですが、特に「見ぬ」という表現に注目してみましょう。「見ぬ」は、助動詞「ぬ」の打ち消しの意味として使われています。この場合、「見ぬ」は「見ることができない」「見ることがない」という意味です。
したがって、この和歌では、何かを見ようとする心情が表現されていますが、結局はそれが叶わないという無念さが込められています。これが、打ち消しの助動詞「ぬ」の意味です。
2. 完了の助動詞「ぬ」と打ち消しの助動詞「ぬ」の違い
助動詞「ぬ」には、完了と打ち消しの二つの意味があります。完了の「ぬ」は、動作が完了したことを示すために使われますが、打ち消しの「ぬ」は、動作が実現しないことを意味します。この違いが、和歌の中で「見ぬ」を打ち消しの意味に使っている理由です。
完了の「ぬ」は、「~した」という意味を持つことが多く、例えば「食べぬ」なら「食べた」という意味になります。一方、打ち消しの「ぬ」は、動作が「できない」「しない」といった意味合いを持ちます。
3. 「見ぬ」の意味が打ち消しである理由
和歌の文脈を考えると、「音もせで見るをも見ぬと思ふなるべし」という部分で、「見ることができない」「見ていない」という意味が必要になります。ここでは、見ることの無念さや諦めが表現されているため、完了ではなく打ち消しの意味が適しています。
そのため、和歌の「見ぬ」は打ち消しの助動詞「ぬ」が使われており、動作が完了するのではなく、むしろそれが成し遂げられないことを示しているのです。
4. 打ち消しの助動詞「ぬ」の使い方
打ち消しの「ぬ」は、古文や和歌において頻繁に使われる表現です。「ぬ」は、動詞に続けて使うことで、動作の否定を表すことができます。例えば、「行かぬ」や「見ぬ」などがその例です。
また、現代語ではあまり使用されることは少ないですが、古文や和歌、俳句などの文学作品では、感情や情景を強調するために使われることがよくあります。
5. まとめ
「荻の葉にあらぬ身なれば音もせで見るをも見ぬと思ふなるべし」という和歌における「見ぬ」の「ぬ」は、打ち消しの助動詞であり、動作が実現しないことを表しています。このように、「ぬ」は完了の意味だけでなく、打ち消しの意味も持ち、文脈によって使い分けられます。
この和歌では、見たいと思ってもそれが叶わない無念さが表現されており、そのため打ち消しの助動詞「ぬ」が使われているのです。
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