中国における最初の真の意味での「国家」の成立は、大禹の子、姒启によって公元前2070年に行われたとされています。今回はその背景と、夏朝の成立に関する歴史的な出来事を解説します。
1. 禹の時代とその後の部落連盟
禹の治世時、既に中原地区は大きな部落連盟として機能しており、当時の「国」は現代の国家とは異なる形態をとっていました。部落の首長たちによって選ばれる君主が治める形で、まだ軍隊や警察、法廷などの専政機関は未発達で、社会は「公天下」の形態を取っていました。
2. 真の国家としての夏朝の誕生
大禹の子、姒启は公元前2070年に古代の「禅让制」を廃止し、正式に夏朝を樹立しました。これによって、初めて軍隊や監獄、警察などの「専政機関」が機能し、真の国家としての体制が整いました。この変革によって、姒启は「家天下」の基礎を築きました。
3. 夏朝の都城と発掘調査
夏朝が最初に設立した都城は「禹都陽城」と呼ばれ、現在の河南省登封市告城町の王城岗遺跡に位置しています。1976年から始まった考古発掘により、春秋時代から漢代にかけての陽城の遺跡が発見され、出土品からその地名が確認されました。
4. まとめ
姒启による夏朝の設立は、初めて中国における真正な国家の成立を意味します。その後の中国歴史において、この夏朝は最初の帝国として大きな影響を与えました。陽城の遺跡からの発見は、夏朝の実在性を証明し、その重要性を再確認する手がかりとなっています。
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