「菅笠日記」の長谷寺にて偲ぶ文中の「きらきらしうて見え給へる」について解説

文学、古典

「菅笠日記」の長谷寺にて偲ぶの文中に出てくる「きらきらしうて見え給へる」という表現について、連体形の「る」や「きらきらし」を連用形としてどのように解釈するべきか、また口語訳が「端正で荘厳なお姿を」となる理由について解説します。

「きらきらしうて見え給へる」の意味と解釈

「きらきらしうて見え給へる」という表現の中で、「きらきらしうて」は形容詞「きらきらし」の連用形です。この連用形が用いられている背景には、動作の継続や様態を表現する目的があります。「きらきらし」は光り輝く様子を表し、その状態が「見え給へる」によって「見える」という動作と結びつきます。

この表現が使われているのは、何かが輝きながら見えるという状態を示しており、文字通り「きらきらと輝いて見える」という感覚を強調しています。日本語古典文学においては、形容詞の連用形を用いて動作や状態の継続を示すことがよくあります。

「る」の連体形としての使われ方

「きらきらしうて見え給へる」の「る」は、実際には連体形として使用されています。連体形の「る」は、名詞を修飾する役割を持ちますが、ここでは「見え給へる」という表現の一部として、動作の結果としての「見える状態」を指し示しています。

「見え給へる」全体で「見える(動詞)の状態を尊敬の意味を込めて述べている」という役割を果たし、相手や対象に対する敬意を表しています。このように、「る」の連体形がその後に続く動詞の結果としての意味を強調する形で使われているのです。

「きらきらし」を連用形として使う理由

「きらきらしうて」の「し」は、形容詞「きらきらし」の連用形であり、動詞「見え給へる」の前に置かれています。この使い方は、形容詞の状態が動作と同時に進行することを表しています。つまり、何かが「きらきらと輝く」状態が続き、その輝きが「見え給へる」という動作につながっているわけです。

「きらきらし」を連用形にすることで、動作や状態のつながりが滑らかに表現されます。また、こうした連用形の使い方は、日本古典文学において感覚的な要素を強調し、情景を生き生きと描く技法としてよく使われました。

口語訳が「端正で荘厳なお姿を」になる理由

「きらきらしうて見え給へる」を口語訳すると、「端正で荘厳なお姿を」という表現が適切となります。これは、古典文学の表現を現代語に翻訳する際に、視覚的な美しさや荘厳さを強調するために使われる表現です。

「きらきらし」という輝きの表現は、ただの光の反射や輝き以上に、品位のある美しさや威厳を含んでいます。このため、現代語訳では「端正で荘厳なお姿」と訳され、元の表現が持つ高貴で美しいイメージが強調されています。

まとめ

「菅笠日記」の「きらきらしうて見え給へる」という表現は、連体形「る」と連用形「し」を用いた形容詞の活用を通じて、輝く様子が動作とともに続くことを示しています。また、この表現を現代語訳する際に「端正で荘厳なお姿を」とする理由は、元の表現が持つ美しさや品位、そして敬意を反映したものだからです。古典文学の表現の美しさを感じ取りつつ、その解釈を現代の感覚に合わせることが大切です。

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